12月26日(木) 北口今年最後の駅頭宣伝、泳ぎ納め。
日刊紙配達後、7時から北口で駅頭宣伝です。党員Oさんと2人で行いました。
今日が今年最後の北口での駅頭宣伝となります。来年は年明け9日から始めます。
その後は佐藤議員と日曜版の配達、控室の掃除など。
水泳2000m、今年104回目、総距離202000m(200キロ)今日が最後の水泳です。
水泳と登山とのコラボで何とか健康維持が出来ていると思います。ただ、もう若くはないので無理は禁物です。
年間距離、昨年は、264キロ、一昨年は224キロと、順調に成長?してきましがが、今年は限界でした。
一つには大洲の市営プールが昼休憩(12時半~13時半)を取り入れたため、利用する事が出来なかったことはありますが、それは外的要因であります。やはり、歳ですかね。
来年も頑張りたいものです。
12月25日(水) 4カ所の展望台から景色を満喫してきました。昇仙峡ハイキング
冬型の気圧配置で寒気が流入していますが、日帰りで出かけてきました。
本当はもっと遠くへ行く予定でしたが、日程の都合がつかず容易なコースになりました。
山梨県の昇仙峡は紅葉で有名でロープウエイもある観光地、渓流(荒川)の左岸が観光遊歩道となっていますが、右岸はゴツゴツした山が連なっています。
景色も良いといいます。北風が心配ですが快晴なので期待できます。
渓流入り口の市営駐車場(無料)を7時過ぎスタート。幸い風はほとんどありません。午後から吹いてくる予報です。
右岸の山並みを縦走してパノラマ台(ロープウエイ終点)に至り、左岸に下山して渓谷沿いの観光遊歩道を下ってくる周回コースです。
緩やかに登って1時間余りで、最初の展望地、太刀の抜き石へ。富士山と、それに連なる三方別山、竜ヶ岳、毛無山がはっきりと見えます。富士を除いては踏破済みなので感慨ひとしおです。
すぐ先、白山展望台は、北側の山、南アルプスが一望できました。秋に計画したけれど行けなかった北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、鳳凰三山、仙丈ケ岳、甲斐駒など、すっかり雪をかぶっています。いつかは行ってみたいとの思いを強く感じます。目の前には今年の秋に行った茅が岳がドーンとありました。
ここから日陰の陰気な登りをしばらく進みます。誰もいないし風も少し出てきて寂しさを感じます。大量の落ち葉を踏みしめながら今年の終わりを感じます。
次の展望地、白砂山は、文字通り白い砂で覆われている山で滑る道に苦労しながらたどり着きました。
白砂と富士が三保の松原のよう。これまでと違う雰囲気です。
ここで始めて登山者と出会いました。紅葉の時期は市営駐車場は8時には満車になるようですが、年末の平日に出かけてくる人はいないようです。
再び陰気な道を20分余り登ると、ロープウエイ終点のパノラマ台に到着します。
季節外れで誰もいませんが、ラジオが大音量でなっていてこれまでの森閑とした雰囲気が一変します。売店があるのは承知していたので、温かいそばでも食べるかなと思っていましたが無念の冬季休業。自販機すらありませんでした。
ここから弥三郎岳まで片道20分は観光客用に整備されているとの事で荷物をデポし、さして期待もせず行ってみましたが、ここが今回一番の展望地でした。360度見渡せるうえ、金峰山の神々しい姿が映えます。
後は45分の下りで渓流沿い遊歩道(仙娥滝)に下山する予定でしたが、誘惑に負けてロープウエイで下山。乗客は私一人。狭い空間でガイド嬢と2人きりの時間はとても長く感じました。相手もそうだったでしょう。
後は渓流沿いの遊歩道を1時間かけて市営駐車場に戻るわけですが、何組もアベックとすれ違う。考えてみれば昨夜がクリスマスイブなので、どっか温泉でも泊って観光しているのでしょう。
クリスマスは常にボッチだったので、信者でもないのになぜクリスマスを祝う必要があるのかが未だに理解できません(ただのやっかみ)
昼前に駐車場着、空しく帰ります。
今日も楽しい山行でした。
12月22日(日) 澄青の湖を望む、上臈岩(じょうろういわ)へ
奥三河へは添乗員としてよく行きました。
際立った観光地はないのですが、混雑や雑踏と無縁の世界、素朴さに魅せられ好きな地域です。
有名な山もないのですが、今日は鳳来湖を望めるという上臈岩へ出かけてきました。
スタートは愛知県民の森、いくつかルートがあるなかで、中尾根ルートで登り上臈岩を目指し、帰路はシュートン沢ルートで下る周回コースです。
県民の森は飯田線の駅(三河槙原)が近く、始発で出かけると湯谷温泉に3時間くらい入浴しても9時には帰宅できるのですが、明日は日刊紙配達だし自重。車で出かけます。
近くまで高速が出来ており自宅から2時間くらいで現地に着けます。全体の所要時間が5時間程度ですので、早起きすれば昼過ぎには帰宅出来るので、午後は自宅でのんびりする事としました。
今日はもともと違う予定があったのですが、取りやめとなったので、予定が空いていましたので、出かけてきました。
上臈岩の標高は450m余ですが、道のりはアップダウンが多く、ゆったりを心がけて進みます。
トレランのコースにもなっているようで、何人ものランナーに抜かされます。同じ人間とは、とても思えません。
奥三河の添乗コースは、ほぼ決まっていて、初日が鳳来湖そばのレストハウスで昼食をとって、愛知県の稲武町か長野県の売木村の温泉に3時について宿泊、翌朝は茶臼山高原から下って愛知県東栄町のレストハウスで昼食、佐久間ダムを経由して静岡には5時頃帰ってくるというマイナーなコースでした。
嬉しかったのは帰宅時間が早かったこと。5時に車庫に着けば6時には家に帰れます。鎌倉とか京都とか高遠とか、予定時間を大幅に超える事も珍しくなく、今はどうか判りませんが12時に家に帰って翌朝3時半起床なんてパターンもありました。
何回も同じコースを添乗しましたので、旅館や食堂の人たちと仲良くなれたのも良い思い出です。独身だったので、嫁にどう?なんて仲居さんがフロントの女性を紹介してくれたこともありました。もちろん成就しませんでしたが。
そんな思い出を”かみしめ”つつ、中の上臈(なかのじょうろう)と言われる岩場の上に。
快晴の空の青色が、そのまま湖に映し出されているようで思わず息を吞みます。
澄んだ青色、澄青色とでも言うべきでしょうか。
ここからの湖は、猫の耳のように見えると聞いていたのですが、なるほど。そのように見えます。
ここから最終目的地の上臈岩まではすぐそこですが、枝道が多くわかりづらい。小規模ですが鎖場もあり迷いましたが、無事到着しました。
スペースがないので、その先の、奥の上臈と言われる景色の良い場所でラーメンの昼食、写真ラップに包んであるトッピングは、ネギ、メンマ、チャーシューです。
ここ最近、山行中、食欲を感じる事がほとんどなくなっているのですが、やっぱり美味しい。
帰路は、これまで通った道ではなく、周回して元の道に戻る予定でしたが枝道が多く不明。迷ったら来た道を戻れの鉄則で戻りましたが、いつの間にか周回ルートに。
今日も楽しい山行でした。
12月21日(土) アンケート回答者へ訪問
日曜版配達集金後、アンケート回答者へ訪問に伺いました。
これまでもアンケート回答者へお礼には伺ってきましたが、今日は、具体的な生の声を
聞く事を心がけました。
アンケート項目には、「共産党や市に対する要望や意見を」という自由記載欄があります。今日伺ったのは4軒ですが
①「自由回答欄に記載なし」→「市政報告に具体的数値など載せて知らせてくれるので今後も発行を続けてほしい」
②「自由回答欄に記載なし」→「30年来、比例は共産党。昔世話になった事もあり、私の母の実家から支持をしている」
③「自由回答欄では、9条や自衛隊で共産党は✖(だから支持できないという事)」→「シニアカーの移動で歩道の凸凹が障害となって困っている」
④「自由回答欄では、隣の空き家が管理されてなくて困っている」→「娘さんが住む住宅隣にアパートが建つ計画が突然知らされ、日照やゴミ置き場など説明がなくて困っている」
いずれも、アンケートの回答だけでは判らない激励、要望です。時間はかかりますが回答を下さった方にはこれからも直接伺っていきます。
午後は、議会と市当局とのサッカー親睦。今日ばかりは日ごろの仕事を忘れて懇親しました。
水泳2000m、今年103回目、総距離200000m。今日でようやく200㎞達成しました。
12月20日(金) 志太広域議会など
今日は日曜版の配達、党の会議、志太広域議会でした。
12月19日(木) 赤旗見本誌をどうぞ!
木曜日は定例北口駅頭宣伝です。日刊紙の配達もあって4時起き。7時から北口でOさんと2人で行いました。
何回か赤旗日曜版見本誌を配布しているのですが、直接定期購読につながる事がなかなかないのが現状、購読申込がすぐ出来るように、新聞に「帯封」をしようという事になりました。Oさんが20部用意してくれましたが、30分位でなくなりました。
政党助成金も企業献金も1円も受け取っていないのが共産党です。
政党の仕事は、自らの政策を主権者である国民に理解を得る事です。機関誌やネットを通じて訴える事です。
政党も資金が必要です。それをどう”調達”するかは、主に機関誌の購読代。それと個人献金。いずれも、主権者国民の判断で頂いています。
政策が支持されなければ購読代も寄付も減る。党の存亡にかかわる事なので、政策の是非を真剣に検討します。
ところが、政党助成金は、議席さえあれば「何にもしなくても」お金がもらえます。この下で、どれだけの政治腐敗が進んだでしょうか。
与党が少数となった新しい国会では、企業献金禁止については概ね野党で一致、政策活動費(政党助成金を原資)の廃止までたどり着くことができました。
一方で、政党助成金廃止に対しては、我が党以外はほとんど口にしません。維新は「身を切る改革」と言いながら、政党助成金を受け取っています。厚かましい。
今日は佐藤議員と日曜版の配達集金、打ち合わせなどでした。
12月18日(水) 市議会最終日
11月議会最終日。今議会は討論もなく終了。午後は事務作業などでした。
12月17日(火) 生活相談など
議会運営委員会後、生活相談の対応で午前中。午後は、党の会議でした。
12月16日(月) 藤枝市広幡藤岡9条の会発行、ワカミナシリーズミニ絵本
寒い朝ですが、日刊紙配達後7時から南口で広幡支部の2名の方と駅頭宣伝です。
ビラは、支部の方が用意してくださった、若い方向けの”ワカミナシリーズ”と銘打った「3部作」です。
1部は「平和か!戦争か!」2部は「気候危機の打開、キーワードは1.5℃」3部は「祝、受賞!ノーベル平和賞」のタイトルです。
これが実に受け取りが良くて、ナマクラ原稿の私の議会報告と違って特に高校生の受取が良い事。
手のひらサイズで受け取りやすいという工夫もされています。
5年間43兆円の軍拡を国会に諮らずに閣議決定したのが岸田前政権。
財源論は先送りとされていたのですが、先週27年度から所得税を1%増税し、財源に充てるという事を方針としました。
国民がこれだけ生活苦に苦しんでいるというのに、軍事費だけは聖域扱い。
5兆円あれば、すべての大学生(専門生)入学金と授業がタダ、または、全ての国民の医療費がタダ(誰が病院に行っても全部無料)の、いずれがが達成できます。
紛争があっても外交で戦争にしない。それが政治の役割。平和が一番ではないでしょうか。
水泳2000m、今年102回目、総距離198000m。
12月15日(日) アンケートに回答いただいた方への訪問
北風が冷たい日です。
日曜版の配達後、青島支部の方とアンケートに回答いただいた方へ訪問に伺いました。
日曜版を購読しているという方へ訪問しました。
とても歓迎してくれて、日曜版は面白い、と、カンパまで下さいました。
同行党員の方によると、購読してくれるまでは、支部の地道な署名活動があり、それを積み重ねていくことで購読につながったという事です。
日曜版の「うれしい一品」(料理記事)が、とてもシンプルで役に立つと、娘さんもアンケートを送ってくれました。
スクープだけでなく、親しみやすい内容にもなっている日曜版の購読を是非!(一か月990円です)
水泳2000m、今年101回目、総距離196000m。
12月13日(金) 来年度予算編成への党議員団要望書を市長に提出してきました。寒かった~南口駅頭宣伝。
来年度、市の当初予算に対する要望書を佐藤議員と共に北村市長に提出してきました。
A4用紙で34ページ、項目147にも及ぶ「膨大」な内容になっていますが、これは受け取る当局が我々が何を望んでいるかを具体的に知ってもらうためです。
他会派の要望書では、例えば「子育て政策のより一層の充実を求める」など、何をどうすればいいのか判らない内容が多くあるようです。
単に要望書を提出するというアピールの場にならないように努めています。
※、「藤枝市議団」に、提言内容をUPしています。
金曜日は南口朝の宣伝、7時から。とっても寒かった~です。それでも、党員Sさんと2人で赤旗見本誌7部を配れました。バスに乗っている人がわざわざ降りてきて「下さい」と言う人も。嬉しいですね。
水泳2000m、今年100回目、総距離194000m。
12月12日(木) 予習不足、準備不足の磐田の獅子が鼻アスレチックコースで運動不足を解消?
木曜日は定例の北口駅頭宣伝。早朝の日刊紙配達後、7時から行いました。
大分寒くなりました。ほどんど耳が聞こえない党員Iさんが来てくれます。皆さんの支えがあってからこそ続けられます。
来週の議会終了後の10日間は、絶好の山行日和です。ただ、これまで一か月余り議会だったので、事前の足慣らしのために、磐田市にある獅子が鼻へ出かけました。
今日は天気もいいし、12月下旬は一定の日程が取れるので遠出できる絶好のシーズンです。
このコースはスタート(獅子が鼻公園)からゴール(鍵掛岩)まで往復3時間。最高点は260m。駅頭宣伝後、ろくな準備もせず気軽に出かけました。
今日は天気も良く風もなく絶好のコンデションです。
準備も予習もほとんどしていませんでしたが、途中「蟻の戸渡」というヤセ尾根がある事は知っていました。ところがここ数年で通行止めになったので、寄り道して入口まで行ってくるかなと。
気分良く進んで行きましたが、途中「蟻の戸渡」経由の分岐から登山道は一変。
普通の登山道という状況ではなく、ポール無し(手足を使わなければいけない)急な岩場の連続と豹変。
こんなつもりじゃなかったと、自分に言い聞かせつつ20分程度で取付きにつくのですが、ここからが鎖場の急登。登りは何とかなりそうですが、行き止まりですから下りが問題。私の力量では無理と判断し、蟻の戸渡を目前にして無残な敗退。
ここから、もと来たルートに戻ればよかったのですが、道標に「浮石ルート」とあったのですが、これが岩場の登り下りの連続。
なんとか頑張り、サクラ平という稜線に出てから、ここからも岩場の連続。
写真にあるこの看板を目にして意気を失う。撤退を決定。もっと簡単な迂回路があるとの事ですが、よく判らず。愛用のヤマップにも表記がありません。
まあ、良いでしょう。もともとの目的は「足慣らし」ですから。
低山、侮ることなかれ。今日も、楽しい山行でした。
12月10日(火) 高洲の公園不足解消のためにも「ふれあい広場」の買取を
市内のほとんどの「ふれあい広場」(以下、広場)が市が借りている借地方式になっている点は、今議会で取り上げました。
防災訓練の集合場所、夏の盆踊りなど、地域の拠点となっているのですが、地主の事情(相続など)があると市は土地を返却せねばならず、広場の廃止という事態に直面しかねません。
借地方針を続ける限りいつまでたっても問題は解決しませんので、段階的でも良いから借地から買い取りへ方針をシフトすべきというのが議会で取り上げたことは既に述べました。
この議題を取り上げたら、市民の方が私に詳しい情報を送ってくださいました。高洲地区は人口が青島に次いで2番目に多い地区でありながら、公園の数は少ない一方で、広場の数は最も多い。判りやすい表にしてくださいました。
たくさんある広場に遊具を置けないか?新公園を作るよりはるかに安上がりで済みます。
当然の要望なのですが、ここでも借地というネックが出てしまいます。地主の許可がいる、遊具の管理をどうするか。
しかし、公園の遊具の管理は市の直営。市職員が自ら行っておりノウハウはあります。地主にとっても、グランドゴルフだけでなく子どもたちが日常遊んでいる光景は貸してよかったという心境を持つことにもつながるでしょう。
水泳2000m、今年99回目、総距離192000m。
12月9日(月) 常任委員会
今日は朝から常任委員会でした。
12月8日(日) アンケートのお礼に伺いに。青島支部の方と。
議員団で実施しているアンケートですが、記名してくださる方に私自ら御礼に伺う事にしています。今日は青島地区、6人の回答者に挨拶に伺いました。党員2名の方が同行してくれました。
行く先々で「わざわざ来てくれて」と。嬉しいですね。
根気を必要としますが、記名者すべての訪問はしていきます。
今日は壮年会行事、日曜版の配達などでした。
12月6日(金) 11月議会報告、ふれあい広場、借地方式からの転換を。南口駅頭宣伝
金曜日は南口朝の駅頭宣伝です。冷え込みがきつくなってきましたが7時から駅南支部の方2名と行いました。途中「頑張ってください」と駆け寄って声をかけてくれる女性がいました。ありがとうございます。
一昨日に続き一般質問の報告です。
市内に53カ所ある「ふれあい広場」(以下、広場)のうち、50カ所は市が地主から借りている借地です。広場は防災訓練の集合場所や盆踊りなど、地域住民にとって不可欠な場所なのですが、地主に相続が出たり買いたいという業者等が現れた場合、たちまち市は返却しなければならなくなります。
地域住民からは存続を願う声が当然出るわけで、地主と町内会が対立するなど深刻な状況が生じます。
これを解決するには市が買い取りをするか、代替え地の目星をつけておくか、など広場がなくなる最悪の事態を回避すべく手を打っておくべきですが、今まで何ら策を講じることなく借地ありきで事を進めてきました。
また、高洲地区には公園が少なく、遊び場を求める声が強くあるのですが、広場に遊具を置けばいいのに、と考えが当然出るのですが、ここでも借地がネックになってしまって、地主の了承がないと遊具がおけません。ボール遊びを禁止しているところさえあります。
一気に50カ所買い取るなどを求めません(おそらく30億くらいかかる)が、市は、これからは借地ありきではなく、広場の設置基準などを含めて見直しを検討するとしました。
今日は日曜版の配達、委員会の現地審査。
水泳2000m、今年98回目、総距離190000m。
12月5日(木) 議員報酬増額について、市民の意見を聞く必要はない!と藤枝市議会会派代表者会議の面々※11月15日付ブログと併せてご覧いただければ幸いです。
今日は木曜日。北口駅頭宣伝。
6時20分に起きた瞬間に、日刊紙の配達を忘れていたことに気づきました。
昨日の質問が終わったことで一段落ついた気持でいたのが間違いでした。今日も9時から議会なので、配達に。準備してきてくださった党員Yさんにはご迷惑おかけしました。
定例会終了後の会派代表者会議、議題にも無いのに「議員報酬5万円増額は全会一致となっていると市長に言うように」と岡村議員が議長に言い、もう規定路線価のような発言を続ける中で、議会事務局長から市長からは全会一致である事、市民の理解が必要だとの意見が(タウンミーティングの実施など)あったとの説明がありました。
それに対して、前回まではタウンミーティングの実施に合意していたくせに、今日になって必要ないと岡村議員が言ったことに対し私が意見を言ったことで紛糾。
議会は議論する場でありながらなぜ紛糾するか。まともな事を言っても恫喝されるからです。
月額31万円(手取り)の議員報酬は安く、26年間あげていないのは事実で、2年半前の改選当初からこの事を審議してきた議会改革委員会の一メンバーである私も、市長が招集する報酬審議会に対して議会として提出する文章に(月額5万増)賛同委員と名を連ねています。
しかしこの文章においても、あくまでも市民の理解を得る事が明記されています。(当時から、このことにこだわったのでよく覚えている)それを取り入れた文書を全委員が承諾したのです。
こうした手続きを経ています。これから報酬審議会が開かれ、その後、市議会に報酬増額の条例改正が提案されるのですが、条例提案前にタウンミーティングの実施する事を合意していたくせに必要ないようなことを言い出したのです。
恫喝議員ははっきり書きますが岡村議員です。石井はわけわからない事を言っている!常識を知らない、執行部に対して失礼!だ、等、こちらが手順を踏まえて何度も説明しても大声で封じ、発言を封じる。前回のタウンミーティングをするとの話はどこにいったのか?それを聞いても恫喝恫喝。その強引ぶりが今の議会の最大の障壁になっている。
それに対して、何も言えない、取り巻き連中の、無知、厚顔、市民無視ぶり。
「条例提案するまでは、タウンミーティングは開けない」(多田議員)
「報酬審議会は聖域であり、その決定に議会は関与できない」(神戸議員)
「タウンミーティングなど必要ない、決定した事を市議会だよりで書けばよい」(平井議員)
どう思いますか?皆さん。
12月4日(水) 県下初の行政による車いすの方の移動支援事業が来月から始まります。一般質問より
一般質問で登壇しました。その報告を行います。今日は、使いやすい「介護タクシー」についてです。
単身で車椅子の方にとって、通院などの移動に欠かせないのが「介護タクシー」令和4年の調査で年間延べ約4000人の方が利用していましたが業者が撤退してしまいました。
撤退の理由は簡単で儲からないから。ただでさえ人手不足で安い介護報酬しかもらえない介護事業所だけの努力では限界があるからです。
この問題は2年前田沼に住む方から相談を受けたのがきっかけでした。市立病院まで430円だったのに4倍の1680円になってしまったと。その為、通院の必要がありながら控えているという声でした。
これまでの間、当局への要請や議会で取り上げてきましたが、今回の質問でほぼ全容が明らかになりました。
来月1月下旬から、市内2つの社会福祉法人(開寿園、愛華の里)所有の車5台で市内南北に分けて全市をカバーする運行体制にする。
使用する車は2法人併せて5台。朝晩のデイ送迎の合間に通院の手段として車を使用する。
運行するにあたっては運転手1名と、乗降支援1名の計2名。現在、市内で活動している方から募って人材の確保もされているが、無償という訳にもいかないので一人800円、2名で合計1600円を利用者から頂く形で支給する。
当面は通院の限定とするが、買い物や金融機関などへの立ち寄りも今後検討するという事でした。
430円が1600円?と単純に考えがちですが、ボランティアと雖も800円位の負担はあり得ますし、安全性を考慮すれば二人体制も仕方ないし、市内一率低額なので駅から市立病院までのタクシー代が約1500円かかる事を考えれば遠距離の人ほど有意義でしょう。
新制度がより良い制度となって多くの車いす生活の方に喜ばれるよう期待します。
12月2日(月) 山男だった父、母に対する”勝手”な言い分
12月1日から横浜で一人暮らしの母が施設に入居する事になり、その引っ越し作業で昨日まで横浜でした。
その際、5年前に亡くなった父が残していた山の日記を藤枝に持って帰ってきました。
父は山男でした。全体で10冊以上あります。
私が生まれた1968年当初の日記の一節に「妻への手紙」との題で「伝えてくれ、愛しい妻に、俺が帰らなくても、生きて行けと」との文章がありました。
「綾子様(母の名)。貴女は僕の生存中にこれを読んではいけません。もし読んだとしたら絶対に話さないでください」となんともキザな書き方から始まるのですが、「僕は貴女にとって悪い夫であり、子供たちに対して悪い父です」と続き「僕は山男です」と断定した上で「山登りはとても大変で、4時起きが当然」なので日常生活でだらしないはそのためである、とか、「山では水がない。食器洗いなどはできない」ので、無神経なのはそのためだとか書いてあります。当時の夫婦喧嘩のネタが判ってとても興味深い。
ただ、父がこう書くのは私にも覚えがあります。子どもが発熱しても平気で山に行ったとよく母がこぼしていたからです。私の記憶の中で父を思い起こすことが出来るのは小学生位からで幼少期より記憶がある母とは対照的です。それだけ山にのめり込んでいたのでしょう。山に行かない母は父に文句を言っていたに違いありません。
死が近いかのような表現でこの文章を書いたのは、身近に遭難があったからだと思います。実際、父の行き先は私などとても手が届かない難易度の高い所を毎週のように出かけており、リーダーを担う山行もいくつか。当時は今と違ってGPSもなくリスクは大きかったでしょう。
母がこの文章を読んでいるかどうかは判りません。多分、読んでいないでしょうが、読んだところで「勝手な事ばかり言って」となるのでしょう。
翻って我が家の山行ですが、GPSが発達した山行アプリで事前に登録さえすれば、実際の山行でも下山すれば登録者(私の場合は妻)に「無事下山しました」と知らせる機能(ヤマップの見守り)があるので安心です。
もっとも、この機能を知る前の話、下山後必ずラインをすることにしていた時期に、ラインを忘れていたのですが、翌日帰宅しても何ら心配していませんでした。
私の場合は亡父とは違う観点から妻に山を語る必要があるようです。
早朝日刊紙配達後、市役所へ。終日議会準備でした。
私の質問通告を見て、独自に調査した上で資料を送ってくださった方が。ありがとうございます。
水泳2000m、今年97回目、総距離188000m。