8月31日(月) 一般質問の通告提出
今日は日刊紙早朝配達後、市役所へ。一般質問の質問通告提出です。
①高すぎる国保税の引き下げを
・藤枝市の国保会計は毎年1億強の黒字会計
・生活保護ギリギリ年収300万4人家族でも国保の負担が32万(給与者)・40万(事業者)
・赤字補てんとして国保会計に繰り入れした2億5千万は結局使わずじまい
・2018年広域化の値上げに対し、一般会計から繰り入れして値上げをしないか
②多子世帯に対する実効性ある補助制度を
・人口を増やしたいと言う政策をたてるなら多子世帯の対する政策を
・「子育てするなら藤枝」と言うならなぜ多子世帯に対する保育料値上げをするのか
などです。質問日時は9月11日(金)午後3時半過ぎ~となりました。
午後は日曜版の配達集金、夜は党の会議。合間に水泳1600m、49回目で73600m、体重71・3k。
8月30日(日) 戦争法案反対大集会IN静岡&国会前
安倍政権よ、この声を聞け!
今日は全国で戦争法案廃案の集会が開かれました。国会前では10万人、全国では100万人が今日に照準を合わせて集会を行いました。
私は藤枝の仲間とともに静岡市の駿府城公園の集会に午前中参加、砂川判決被告の土田源太郎さんが「砂川判決は集団的自衛権を争点としたものではない、それは当事者の誰が見てもわかる。そんな事に合憲の根拠を見出す安倍政権の存在は、司法だけでなく国民全体に対する裏切りだ」と気迫の挨拶。あいにくの雨天でしたが1100人の方が参加しました。
デモに参加して新幹線で東京国会前へ。仲間とではなく1人で行きました。
地下鉄の国会議事堂前駅の出口が一部封鎖されるほどの大混雑で、国会正面前い行きつくことができません。とにかくすごい人!人!人!藤枝の仲間から様子を聞かせてと言われてきたのですが、ただ人混みの中に紛れ込んだようです。
参加者はそれこそ老若男女、全ての世代の方がきているといってもいいでしょう。若者も目立ちますがそれだけではありません。
スピーチ会場に行きたかったのですが、無理。でも、各所におかれたスピーカーで坂本龍一さん他、各界代表の方の訴えは良く聞こえます。それに呼応するかのような、「あ・べ・や・め・ろ」のコール。安倍さんよ、この声が聞こえるか。
印象的だったのは、創価学会有志の方が学会の旗を掲げ法案廃止を求める山口公明代表宛の署名集めをしていた事。ネトウヨが戦争法案反対=左翼と「レッテル貼り」をしていますが、この現状をどう説明するか。
私がわざわざ東京に来た理由は、自分自身に確信を持ちたかったこと。駅前や街宣で一生懸命訴えても、まだまだ素通りや無視が多い。一体自分は毎週何をやっているんだ。そんな猜疑心に悩むことも多いのですが、全国でこれだけの人が廃案を訴えている。その事に自信を持ちたかったからです。これからもがんばります。
8月29日(土) 水路の改良要望の調査、一般質問の通告作成など
今日は午前中党の会議、午後は市役所事務所で明後日通告締切の一般質問の準備、日曜版の配達集金でした。
党の会議で党員の方から近所の水路の改修を頼まれたとの事で集金の合間に伺いました。
写真の雑草の下が水路なのですが、かなりの勢いで流れており、その先の水路は暗渠ですので子供が落ちれば絶望です。しかも隣(写真左)は学習塾です。早速、当局に実態を届けることにします。
8月28日(金) 南口駅頭宣伝、5人の子供を持つ多子世帯のお母さんからお話を伺いに、小中学校と議会との交流授業の実施に向けて教育部と折衝など
今朝は7時から南部支部Oさんと駅南支部Sさんと3名で1時間の駅頭宣伝です。昨日今日でビラが180枚ほどでした。
その後は市内に住む5人のお子さんを持つ方からお話を伺いに。多子世帯に対しての助成などがなく、生活に大変だとメールを頂いた方です。未知の方で今日初めてお会いしましたが、子育て政策を研究するうちにネットで私のブログに行きついたそうです。
母子(父子)世帯は、特に貧困率が高く不十分ですが児童扶養手当始め補助制度がありますが、多子世帯にはありません。ですが、それなりに収入があっても子供が多い分消費も多いので母子世帯同様多子世帯も大変です。この方も一時は深夜のコンビニバイト&寝ずに新聞の配送、その後介護の仕事とトリプルワークを行い、居眠り運転で死亡事故直前状況にまで追い込められた経験を持っていました。
これに対し「なんでそんな子供を産んだんだ」という意見があります。私はこれほどその家庭の子供と親に残酷な言葉はないと思うと同時に、人口減少が世界の中で著しく進んでいる日本で将来国を背負うべく子供をたくさん産んでいる多子世帯をもっと大事にするのは当たり前だと思います。
今年度から始まった子ども子育て支援新制度は多子世帯ほど保育料が上がる仕組みになっている所(5人の子供があっても、2人しか子供がいないとみなされその分しか保育料計算で控除されない等)があり、それには市の裁量も絡んでいます。
お話の中で「高1の長男は、寄宿生の高校に通い将来の技術を身に着けてながら学んでいて生活費はかからない。中1の次男は、生後8か月の末っ子の娘をおんぶヒモで面倒を見ておむつ替えもしている」と。ゲーム等自分のやりたいこと中心にする年代の子供が、親の苦労している姿を見て自発的に家庭の助けになる事をしている様子がよくわかります。親子間の殺伐とした事件ばかり報じられる中で救われる思いがするではありませんか。
「子育てするなら藤枝」と標榜する本市で多子世帯に対する考えを9月議会で問うて行きたいと思いました。
その後は市役所へ、私が委員長を務める広報委員会で研究テーマになっている「小中学校生と議会との交流会」実施に向けて、鈴木副委員長と教育部長、学校教育課長と打ち合わせ。何とかやっていきたいと思っているのですが、委員に対して説明できるほど具体性がまだないので、毎月行われる校長会で話をしてもらうようにお願いする事で今日のところは終了しました。その後は日曜版の配達です。
8月27日(木) 北口駅頭宣伝、議案説明会
木曜日恒例の北口駅頭宣伝、今朝も7時から青島支部Oさんと1時間行いました。だいぶ涼しくなってきました。これからが1年で一番駅頭のやりやすい季節です。
訴えの内容は、もちろん戦争法案。日本共産党の小池議員が国会で明らかにした防衛大臣も知らない間に自衛隊の統合幕僚幹部が戦争法案で何が出来るか詳細な部隊編成計画を作り幹部に示していた事です。(詳細はこちら)
その後は終日9月議会の議案についてのレク。
8月26日(水) 議会準備で終日
今日は朝から夜まで市役所事務所にて9月議会の準備です。
8月25日(火) 戦争法案の撤回、廃案を求める請願署名を議長に提出、無料法律相談など
今日、藤枝市議会9月議会で「戦争法案を撤回する意見書を採択する事を求める請願」が吉岡静岡大学名誉教授を代表とする市民各団体から議会に提出されました。
8月2日蓮華寺池行動では6名の市議が名を連ねました。いつもの共産党だけの請願と違い、今回は請願の紹介議員として市民クラブの天野・鈴木議員と私の3名が同席し議長に提出しました。(他の3名は請願が審査される常任委員会に所属するので便宜上遠慮しています)
9月末が国会の会期末、それまでが勝負どころです。自民・公明の議員がどう対応してくるか未知数ですが、市民の多数が法案に反対のはず。植田議長は「趣旨は良くわかりました。慎重に審査します」と応えました。
その他の時間は議会準備、夜は毎月市議団が実施している無料の法律生活相談、今夜は2組の方が見えました。
帰りにスーパーで買い物していると見知らぬ男性から話しかけられました。2日の戦争法案パレードに参加した方でした。今の政治は本当にひどい、秘密保護法も滅茶苦茶な法律だが通ってしまっている、と言われます。今が勝負時、諦めずに頑張りましょう。
8月24日(月) 一斉駅頭宣伝など
今朝は日刊赤旗新聞配達後、毎月静岡県共産党中部地区が実施している一斉駅頭宣伝、地区内のJR東海道線の磐田~焼津各駅で朝7時から一斉に訴えるものです。私は毎回、藤枝駅南口。今朝は駅南支部の方を中心に合計5名で1時間訴えました。
訴えの中心は、戦争法案が成立する以前に、実力部隊である自衛隊が法が成立後の部隊の編成や運営計画を作成していた問題。我が党の小池晃さんが参議院で暴露した内部文書の問題です。
その中身が国会でも一切明らかにしなかった事です。しかも、自衛隊を「軍」と明示し、米軍との間に新たに作戦実行のための調整所を作るとか、これまで「ない」「検討中」としか答えてこなかった「日米共同作戦計画」が既に作成済みだとか、小池さんが国会で言わなければ国民が知らない間にこんな重要な事が自衛隊内部だけの事実として進められていた事。それを指摘されても、安倍首相も防衛大臣も「問題ない」と平気で開き直れる異常さです。(詳しい内容は、私の政策ページにてお知らせしています)
安倍さんは「国民に丁寧に説明する」と繰り返し言っていたはずですが、こんな大事な事を伏せていたのは、この法案がいかに危険なものかを事実物語っています。まあ、嘘とゴマカシの連続の安倍政権らしいとも言えますが。
その後は市役所事務所でブログの更新などの事務作業。夜は党の会議、合間に水泳1600m、48回目で総距離72000m、体重71・4K。
8月23日(日) 共産党静岡県議員会議
昨日に続き今日も研修。今日は共産党の静岡県下の地方議員の研修、37名が参加しました。社会保障の解体や戦争法案の対応や、党内の課題等。お互いに目先の仕事でなかなか近隣の同志議員と打ち合わせが出来ませんので貴重な機会でした。
8月22日(土) 保育研究所「子ども子育て支援新制度実施後の課題研修」
今日は一日東京へ、毎年参加している保育研究所主催の研修に参加です。
今年4月から実施されている「子育て支援新制度」の実施後の状況や課題について学びました。
この制度は複雑です。しかし保護者の最大の関心である「待機児童の解消」には、役立ちません。むしろ安上がりで劣悪な保育環境を認可基準にして受け入れ施設とするものとして大問題があり、市が実施している公的保育の仕組みを瓦解させ介護保険の様な保育の必要性を認定し保護者が縁と直接契約をする制度にして、保育を財界の儲けの手段とするのが真の目的です。
制度実施までの2年間のほとんどの議会で私はこの問題を継続して取り上げ(国が基準を出すが実際は市が条例を制定して中身を決める)小規模保育園の認可基準は国基準の50%以上配置を100%にする、認可保育園の増設事業計画を作るなどの前進面を勝ち取ってきました。
実施までわずか2年間の準備で市も大変ですが、保護者から早速この制度の弊害のメールを頂いています。(保育料が前より高くなった等)今日のセミナーで制度的な裏付けは取れましたので改善を促していきたいと思います。
8月21日(金) 全員協議会で広報委員会の報告等
今日は日曜版の庁舎内配達集金の他、午前中は議会。全員協議会で広報広聴委員長としての視察報告、先月実施した商工会議所青年部との意見交換会の報告、今秋実施する市民との意見交換会(タウンミーティング)の報告を行いました。視察報告を作るまでに各委員(6名)の視察報告に目を通し、鈴木副委員長の了承と委員への了承を経て行いましたので、10分足らずの報告でしたがそれまでが大変でした。しかし、藤枝市議会基本条例にある(第7条・8条)「市議会は市民への広報・広聴活動の充実に努める」とある理念の元で本委員会が率先して役割を果たさなければならないと感じています。大変さもありますが重責ですので委員の協力を得ながら頑張っていきたい。終了後も広報委員会を開催してタウンミーティングの内容について打ち合わせでした。
午後も日曜版の配達でした。
8月20日(木) 北口駅頭宣伝、志太広域組合議会など
木曜日恒例の北口駅頭宣伝、今朝も青島支部Yさんと1時間7時から行いました。小雨模様で暑さも和らぐコンディションでしたが、途中からシャックリがとまらなくなってしまい度々中断。そのせいか、昨日に比べてビラは60枚程度といつも通り位でした。
その後は娘を学童に送って志太広域議会。今日は臨時会で予算の組み替えのみの補正予算で内容も消防車輛の更新でした。その後は、斎場建設上でメタンガスが発生して工事が中断するとの調査でした。
その後は日曜版の配達、市役所事務所での明日の全員協議会の資料作成。久しぶりの水泳1500m、今年47回目で70400m、なぜか痩せていて70・5K。
8月19日(水) 南口駅頭宣伝、藤枝市総合計画委員会など
今日は南口で朝の駅頭です。駅南支部のSさんとの二人、朝7時から1時間行いました。先週はお盆休みを頂きましたので2週間ぶり。ビラの配布は約100枚、2人なら80枚で上々なのですが、Yさんも大変そう。戦争法案の内容でしたが、多くの通勤の方が期待してくれているようでとても嬉しい朝でした。
その後は免許証の再交付のために静岡まで、午後は総合計画の特別委員会です。安倍政権が「地方創生」と称して地方自治体にバラマキをしている一環に、自治体が総合戦略を作るというものがあります。それを目当てに各自治体が作るわけですが、その内容たるや2060年には出生率が2・07倍になるという(現在は1・53倍)荒唐無稽のもの(これは藤枝市だけではない)本当に地方創生を言うなら、地方であろうが都会同様の所得を保証するとか、公契約条例を定めるなど自治体だけでなく地方労働者の地位も確約する事が必要です。
8月18日(火) 「赤旗新聞を読みたいんですけど」と未知の男性からTEL、健康福祉委員会など
今日も朝から市役所事務所で事務作業でした。そうしていると、市内に住む50代の未知の男性から電話があり「新聞を購読したいのですけど」と言われます。よろしければ理由をと聞きますと「今の政治は本当にひどい、前に読んでいたことがあるけれどまた学習してみたくて」と。
安倍政権の暴政が続く中で、全国でこちらから働きかけることなく購読、入党という事例が私の元に報告されていますが、自分自身の経験では初めてです。この方は「勉強会などの行事も知りたいのですが」とも。党や友好団体では戦争法案、原発など毎週のように市内近隣市で集会やイベントをしており、その都度新聞の折り込みでお知らせしますとお伝えしました。午後は健康福祉委員会、執行部からの報告が主でした。
8月17日(月) 党会議など
今日は今週の全員協議会に向けての、広報広聴委員会の報告文書の作成などの事務作業と党の会議、生活相談の対応でした。
8月15日(土) 敗戦記念日
今日は戦後70年の敗戦記念日、街頭から戦争法案の訴えをしたいところですが、今日はPK戦や戦没者祈念式典などの議員行事でした。
8月11日(火)~14日(金) 亡国の安倍政治、矛盾が顕著な沖縄県
今週の火曜日から3泊で家族で沖縄に行ってきました。
女房の実家が本島の読谷村(よみたんそん)にあります。女房の両親(私の義理の両親)も高齢、私の2人の子供(両親にとっては孫)も8年前に沖縄に行ったきりなので、大きくなった孫の姿を見てもらうのと、今は中1と小2の孫も8年前は4歳と産まれたばかりなので祖父母の顔も覚えていないので、今のうちにと思い大出費でしたが行ってきました。
夏の沖縄ですので、もちろん海にも行ってきましたが、ここではそういう内容の報告はしません。自費で言っているので書いても問題ないのですが、政治家のブログやFBで「今日は夏祭りに行ってきました」「市の行事でこんなことやっています」「うちの犬が大きくなりました」等々、政策に何にも関係のない自己報告に成り下がりたくありません。合間に行ってきた辺野古テント村と普天間基地について少しふれておきたいと思います。
※私の政策は「私の政策」にてUPしています。
新基地建設が強行されている名護の辺野古には海水浴の帰り、12日に行きました。
折しもこの時米軍ヘリが自衛官2名を乗せて墜落事故を起こしました。実家に帰ってからのニュースで知りましたが、米軍の沖縄墜落事故はこれで46回目になります。今回は海上という事もあり犠牲者は出ませんでしたが、こういうヘリやオスプレイがいつも空を飛び交っている地上で生活を強いられているのが沖縄県民です。
しかも、今回は陸上自衛官が2名、定員を超えて同乗していた。「研修」だとか言っていますが、戦争法案を見越して既に日米で共同作戦が行なわれているのでしょう。
辺野古の座り込みは今日で4133日になります。ここを原点としオール沖縄で辺野古に杭一本打たせてこなかったのですがそれを強行して工事着手したのが安倍政権。所が、基地建設是非を問われた3回の知事選等で全て辺野古NOの候補が圧勝やセルラースタジアムの大集会などの県民世論に押されて、つい先日1か月間の工事中断を余儀なくされています。
沖縄の基地問題を考える時に、沖縄の歴史がどうだったのかを考える必要があります。政府は橋本首相時に普天間の代替基地を県内に作る事によって負担を軽減するSACO合意を原点に辺野古建設の正当性を主張しますが、沖縄県民がそれ以前におかれた状況はどうだったを見なければなりません。
日本が引き起こした戦争で、国内で唯一地上戦が行われたのが沖縄です。県民4人に1人が命を失った悲劇の実態は、ネトウヨ等がいくら否定しようが事実は消せません。アメリカに捕まれば、人肉までも食われるぞと教えられた沖縄県民はガマ(洞窟)に避難して集団自決を遂げるほど追いつめられ、無事に故郷に帰っても自分の土地が占領軍(米軍)のブルドーザーで勝手に基地にされた。
「自分の土地を勝手に盗んで、それが老朽化したから代替地を出せ」と政府が言っている。沖縄県民が納得できるはずがない。当たり前の話ではないですか。
静岡に帰る今日14日は、宜野湾市の普天間基地に。11年前の昨日13日に、基地隣接の沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した場所です。
基地内に入れるわけではないので、周辺を車でなぞっただけですが、普天間基地周辺はまさに「都会」です。
市役所だけでなく、高校、中小学校、そして写真にあるように保育園が基地に隣接しています。保育園後方の木の後ろは普天間基地です。ここに未亡人製造機とも揶揄されるオスプレイが配備され夜間10時以降の協定も無視して夜間飛行も行っている。そういう場所に宜野湾市民は暮らしているのです。
これを逆手に取り「普天間の負担軽減のために辺野古だ」というのが政府の主な主張ですが、辺野古が出来ても普天間閉鎖と約束していない。これまでにない規模の戦艦を寄港できる辺野古を作ってなんで沖縄の負担軽減になるのでしょうか。
先の大戦で沖縄は「捨石」にされました。制空権も制海権も失った日本に勝ち目はゼロだったのに、沖縄の実質的抵抗力が失われても昭和天皇大本営は降伏勧告を受け入れず「せめて1勝」にこだわりました。
その為にどれだけの沖縄の人が犠牲になったのでしょうか。
沖縄だけではありません。特攻隊はじめ沖縄作戦のために動員された若き日本兵士が、冷静な政府判断さえあれば無残な死に方をしなくても済んだのです。
13日に行った本島から1時間ほどの渡嘉敷島(トカラ列島)は、天国のようなビーチ。こうした平和な光景を、いつまでも続けたいのは誰もが共有するでしょうけれど、この島は集団自決の島です。米軍にとらわれたら血肉まで搾取され、女は売られ子供は去勢されると教育されてきた日本人は降伏する事さえできずに自決をさせられたのです。論争(とは言えないけれど)はありますが、日本軍も加担していた事は動かしがたい事実です。
集団自決地は島の北端にあり今回はいけませんでしたが8年前は行きました。ビーチの賑わいはなかったかのような島の北部の山間地に、訪れる人の無い碑がありましたが、回りに柵がしてあり「ハブに注意」の看板。これでは近づけません。
無残な死に方をさせられて、かつ、死に場所にくることすらも拒まれるような場所で小さい子供たちも犠牲になったのです。
義父(女房の父親)は、トカラ列島の阿嘉島にいたそうで終戦で9歳。特攻機が何回も激突する瞬間を見たそうです。この特攻作戦も見事?敵艦隊に激突できたのは1%以下で、残りは突撃前に撃墜されました。名誉の戦士すらできなかった。美談のようにいわれますが、昭和天皇以下大本営の無謀な作戦で若者たちが無駄死にをさせられました。無口な義父ですが、一緒にテレビを見ていて終戦特集で特攻隊が出てきたときに堰を切ったかのように話をしてくれました。
8月10日(月) 決算委員会など
今日は事務作業でしたが、月曜当番の赤旗日刊紙の配達を新聞休刊日と勘違いしてしまって大慌てしてしましいました。
午後は決算委員会、9月議会で私を含め11名からなる昨年度決算議案を審査採決する特別委員会、5年前の私の初当選以来設置されていますが、党派所属議員数によって質問時間が制限されています。(委員会で時間制限があるなど藤枝市以外ほとんどありません)
その為、最大会派は「せっかく時間があるんだから」と知らない事を聞くだけの質問が連発、時間制限は議会活性化に反映されていません。これを常になくすべきだと言っていたのですが、私が当選前の”守旧派”のシキタリがそのまま残った形で姿を変えつつも廃止になりません。
もともとこの制限は共産党が質問ばかりするからといって導入されたのが動機です。その背景に、議案に対して調査もせず「なんでも賛成」する議員だから、市民の立場で意見を言う共産党議員が面倒くさいのがあげられます。
しかし、今日の委員会では私の指摘に対し、委員長(公明党)が「私の代で時間制限をなくしたかった」と、民主系の代表者も理解を示してくれました。今委員会で撤廃はなりませんが・・・そんな”しょぼい”理由で時間制限を続けるよりも、議員自身が市民の立場で精査して質問すれば良いだけの事だと主張してきたことが受け入れられた形です。
終了後は久しぶりの水泳です。混み混みで1100m止まり、46回目で総距離69000m、体重71・2k。
8月9日(日) 藤枝市平和展、明日から帰省(沖縄)です
今日は毎年市の平和委員会が行っている藤枝市平和展に妻と小2の娘でお邪魔してきました。
情勢がひっ迫している今年ほど、この平和展の意義が語られていいはずですが、入場者はいつも通りのようです。
ですが、一時だけ盛り上がる活動がどれほど国民の共感を得られているかの是非は、維新や減税日本の衰退に見ても明らかです。要は国民生活にとって「良い事を言っているかどうか」だと思います。
平和展の入場者が増えない事は事実ですが、今若者たちが国会周辺を中心として訴えている事は平和展で展示している通りの事です。戦争NOの訴えは、平和展以外の各所で姿かたちを変えて様々な展開を見せているのです。
私は約束があったので見れませんでしたが、藤枝北高の高校生がこの平和展で演奏を行ってもいます。
最近、ネトウヨがSEALDSなどの運動に攻撃を仕掛けるばかりか、自民の国会議員も利己主義だとか言っています。ダウンタウンの松本も「対案を示さないのは無責任」とか。後の世で、当時どういう行動をしていた事を問われた時に、この人たちはどうこたえるのでしょうかね。
明日から女房の実家がある沖縄に3泊で帰省です。下の娘が生まれたばかり以来8年間行っていないので・・・辺野古や「ひめゆりの塔」にも行きたいのですが、挨拶回り等でどこまで行けるかわかりません。
8月8日(土) 今年の夏祭りはいつもと違いました
今日は日曜版の配達集金、午後は与左衛門と兵太夫南町内の夏祭りにお招きいただきました。
毎年呼んでくださる夏祭り、ビール片手に飲みあうのですが、今年は「戦争法案はどうなってるんだ」「中国や北朝鮮の問題を解決するのにどうしようと思っているんだ」など、市民の方から話しかけられることが多い。市民の方がいかに気にしているかを感じます。
「原発問題でいつも頑張っていますね、石井さんに投票しています」という若い女性の方の声もいただいたり、家族そろって楽しむ夏祭り、今年は例年以上でした。
8月6日(木) 立場は違うが「戦争法案を何とかしてください」北口駅頭宣伝など
今日も朝の駅頭、青島支部Yさんと南部支部Oさんと7時から1時間です。
連日の酷暑です。時計塔の日蔭を利用しないと1時間持ちません(写真参照)
訴えが終わると、一人の若い男性が話しかけてきて「戦争法案はなんとかしてほしいが、自分は何をすればいいのか。いくら言っても結局成立してしまうのではないか」と諦め半分の言葉がありました。
NHKなどの御用メディアは衆議院成立直後の報道で「今国会で成立の公算大」と言いましたが、世論は逆で安倍政権の支持率は落ち込んでいるし、反対運動の取り組みは列島各地で多彩な形で進んでいます。
この方は「私は共産党支持じゃないけれど」とハッキリ言われましたが、もはや戦争法案を廃案にするには政党党派の違いなど垣根を越えての反対運動が行われており、是非そういう運動に参加していただくか、ご近所に支持を呼びかけるか、そういう身近な行動でもいいのでやってくださいと、後世の人達から「あの時の日本人は何をやっていたんだ」と言われた時に廃案の立場で頑張っていたと言えるように共にがんばりましょうと対話が弾みました。
その後は日曜版の配達と集金、午後は引き続き視察報告の作成などの事務作業、夜は地区の夏祭りにお呼びいただき5曲踊ってきました。
8月5日(水) 市民の方から冷たいお茶の差し入れがあった駅頭宣伝
今朝は南口で朝の定例駅頭宣伝、駅南支部Sさんと南部支部Oさんとで7時から1時間行いました。
もちろん戦争法案の内容で訴えていたのですが、女性の方から「頑張ってください」と冷たいお茶の差し入れがありました。とてもうれしいです。こういう激励があるからこそ5年間頑張り続ける事が出来るのです。
その後は事務作業。行政視察報告の作成が主です。
8月2日(日) 愛する人を戦場に送らない藤枝市民のつどい、浜岡原発再稼働を阻止する署名でご近所回り
午前中は、ご近所に県知事あて浜岡廃炉署名のお願いに回りました。酷暑の中でしたが、3人で54筆の署名がいただけました。引っ越しして初めて挨拶するお宅もあり、長話になりました。代替エネルギーが出来るまでは原発も半分賛成せざるを得ないが、ご近所だから家族そろって4筆書いてくれました。
午後は妻と2年生の娘とで蓮花寺公園で行われた「愛する人を戦場に送らない藤枝市民のつどい」に参加。政党党派の違いを超え550人の方が集結しました。
民主党、社民党、新社会党、野党各党が合致、医者、弁護士、教師、大学教授、静岡新聞営業局次長など、多彩な方が参加呼びかけ人で名を連ねています。大会決議文は藤枝北高の演劇部の生徒が行ってくれ、その後市内デモ行進。多くの人たちが団結し、安倍政権退場と戦争法案廃案を訴えました。暑い中でしたが、様々な方と一緒に行進していると暑さも忘れます。
8月1日(土)旅の会で戦争法案の講演、青年支部の皆さんと夜の駅頭宣伝など
今日は市民の方が主催する「旅の会」に呼んでいただき、戦争法案の危険性と世論で廃案に追い込む取組に協力のお願いをパワーポイントを使って行いました。
3年前、この会で浜岡原発廃炉の請願署名を講演と同時に行い、多くの賛同をいただきました。また呼んでくださり感謝する次第です。
質疑応答では、もうここまで来たら数の力で押し通されるのではないか、なんで安倍政権はこれほどまでに戦争法案を通したいのか、私たちにできることは何か?など多彩な質問が出されました。
衆議院が通過したと雖も、追いつめられているのは安倍政権です。それは支持率に如実に現れている。万が一、法律が成立したとしても法的闘争の場もあるし、なにより実際戦争によって死者が出たときに「法律が成立した時の日本人は何をやっていたんだ」と後世の人に言われないためにも、自分の出来る範囲で(集会に参加するだけでもいいし、近所の方に話をするのでもいい)活動をしてもらいたいとお話しいたしました。
参加者の方からは「今度は法案賛成の政治家を呼んでみたい」と言われましたが、多分来ないし、来れないでしょう。
旅の会の方は、ほとんどが無党派ですから安倍政権や法案に対して批判的な話ばかりをしてどれだけの反論が出されるかと思っていたのですが、肯定的にとらえてくれる意見ばかりでありがたく思いました。
午後は日曜版の配達と市役所で事務作業、夜は7時から南口で共産党青年支部と民青同盟と合同で戦争法案NOの訴えを行いました。
私はもっぱらハンドマイクで宣伝していたのですが、署名していた人にブラックバイトで苦しんでいる女子高生が話しかけてきたとか、コンビニ前にいた集団が集団で反対にシール投票してくれたりとか、無関心も多いですが深い話が出来たようです。20代~40代(私も40代ですけど)の同志達と一緒に行動するのは私自身初めてですが、良い経験です。