3月31日(木) 他陣営のことに惑わされず…
市議選まで残り2週間少々です。
定数22に対し、23~24人の立候補が見込まれています。巷では、選挙にならない候補が2~3人はいるとの噂が流れていますが、それはふたを開けてみなければわかりません。他候補の事は気にせず、政策と公約を訴えていく路線を貫くだけです。
年度末最後の北口朝の駅頭宣伝、6年間浜松から藤枝に通ってきて毎回私のビラを受け取ってくれた方がいて、来年度異動になるので今日が最後だと。いつもビラを帰りの電車で見るのが習慣になっているという事も言われました。嬉しい言葉です。
夜の訪問活動時でも、私の駅頭宣伝を聞いているという方もいらっしゃいました。
選挙が近づき、これから駅頭で挨拶する候補者も出てくるだろうけれど、定期的に続けていくことこそが大事。たった1~2回で有権者の方は振り向いてくれないでしょう。
今日は日曜版の配達集金。年度末異動の確認も兼ねていたので終始でした。
3月30日(水) アナウンサーの皆さんに感激
数多くの皆さんに支えられ感謝感謝の毎日ですが、今日は選挙期間中のアナウンサーの会議がありました。
他候補のほとんどがアナウンサーを地元の町内会に割り当てをして半ば強制的に参加させるか、もしくはプロのアナウンサーをや雇うかして工面しているのに対し、私の選挙にはボランティアにも関わらず多くの方がアナウンサーに志願してくれます。
もちろん、プロと比べれば技量に差があるのは否めませんけれど、寸暇を惜しんで何とか私のために頑張ってくれる方がどれほど多いか。技量以上の熱意がありがたい。
一週間の期間中、8時~20時まで、6交代で延べ82名のシフトを20名弱の皆さんでローテーションを組んでくださいました。
今日も7時からの南口駅頭宣伝から、夜の訪問活動まで。終日の活動でした。激励の数々、また、連日自宅に届く児童館の署名。私を奮い立たせてくれています。頑張ります。
3月28日(月)29日(火) 駅頭宣伝をやっていて本当に良かった
連日、訪問と街頭宣伝の繰り返しです。
私は議員生活12年間、正確には議員になる1年位前からなので13年になると思いますが、毎週の駅頭宣伝を欠かさず実施してきました。
今日訪問したあるお宅では、いつか私の駅頭宣伝を聞きに行きたいと。駅から遠い場所にお住いの方なのですが、年で足も悪く出歩けないけれど一度でいいから聞きに行きたいと。
また、藤枝に通って6年になるけれど、毎週駅で受け取るビラを読むのが日課になっていたが、来年度異動になり明後日31日(木)の駅頭宣伝が最後になりますとメールをくれた方がいました。
これほど、嬉しい事はありません。正直、ビラの受け取りもよくないことも多く、同行党員の方がいなければ「今日はやめるかな」と考えることも多々あるのですが、寒くても暑くても議会があるときでも定期的に続けてきたからこそです。これからも頑張ります。
運動不足が明らかなので昼休憩の水泳1600m、24回目で総距離37000m。何の問題もなく泳げたけれど。
3月27日(日) 幼い子どもをもつ保育士さんが協力してくれることに
先日、児童館の演説を聴いてくれていて、長文の手紙をいただきました。私の近所に住む公立保育園の保育士で、幼い二人の子どもを育てています。
子育てに関心があって、自ら子育てサークルの代表を務めるとの事。児童館の必要性を切々と書かれていました。
今日お礼に伺うと、民間の学童保育の開設も考えているほどの熱意を持たれています。ご近所で私にとっても頼もしい方です。知り合いに広げるからと、児童館の署名用紙を何枚かお渡ししました。うれしいですね。
午後、街頭宣伝をしていると高岡の方から電話が。いきなり、「家の中にいるのに署名のお願いがポストにあるのは失礼だ!」と始まったのですが、よくよく聞くと、市議と話す機会がない。署名パンフに私の携帯番号が書いてあったので電話した。これからも市議は市民の話を聞くようにしてくれと。激励?をいただきました。
3月26日(土) 雨中街頭宣伝
午後、市内7か所で雨の中ですが街頭宣伝を行いました。
私が乗れない時でも、党員の方が運転してくれていますが、流しの時に流すテープは私自身が録音したものを流してもらっています。
2月1日からの第1弾から、昨日の録音が第4弾となります。
今回は、ロシアは共産党なの?という問いがあるけれど、ロシアの共産党は31年前になくなっており共産党とは何の関係もないことや、自公が年金5000円給付を政府に要請したのは、露骨な選挙対策であって、物価が上昇しても年金支給額が下がる、自公が進めた年金削減策を改める事こそ大事だという視点を盛り込みました。
いくつかの場所で、手を振っての激励等がありました。
この街頭宣伝、告示前で定期的に実施しているのはほとんど我が党だけです。過去3回の選挙と比べ、回数的にははるかに劣っているので悪天候でも実施しました。同行してくれた若い党員U君にも感謝です。
余談ですが、今日が誕生日。54歳になりました。
3月25日(金) 党員の方のアシストがあってからこそ。
今日も、政務活動費の精算、日曜版の配達と異動の対応、議会報告の郵送作業などでほぼ一日が過ぎてしまって、支持拡大が出来ず私のために奮闘してくれている党員、後援者の方に申し訳ない思いです。
実際、私一人では何もできません。支持拡大もそうですが、事務的な処理も多くあるし、作業は膨大です。
そんな活動の一つにビラ作成があります。党員の方は実に多彩なビラを作ってくれます。
そんな一つに「あおしま後援会だより」がありますが、写真のような素晴らしいビラを作ってくれました。
ビラ作成だけではありません。ここに至るまで、青島支部の方の努力があります。告示後は、候補者名を記載したビラの配布は禁止されているのですが、事前に「ニュースを届けていいですか」と確認できたお宅では配布OK。この「ニュース会員」を増やすため、日常的に活動を続けて積み重ねてきました。本当に感謝感謝です。
3月24日(木) 総額334億の契約案件をスルーで賛成する議員たち、自民党を支持しているという高校生との対話
今日は志太広域組合議会です。一般質問で登壇しました。
この議会で、仮宿に建設するゴミ清掃工場(クリーンセンター)を㈱タクマと契約する議案が出されています。これが、今後30年間の運営費を含め総額334億にも上る巨額の契約内容。当然、多くの議員が関与する問題であるけれど、質問に立ったのは私と焼津の杉田さんだけ。
契約議案は私も含め全会一致で賛成となったが、私は質問を通じて、情報開示に問題点は残りつつも、組合(焼津市と藤枝市)が求める要求を満たす契約書になっている事、契約書通りに今後タクマが履行することが基本的に確認できたので賛成したが、他議員はろくに調べもせず、スルーで賛成しているのだ。これで議員の役割を果たしているといえるのだろうか?
これには市民の皆さんが知らない事情があります。
それは、志太広域議会は焼津藤枝から8名づつ、合計16名で構成される議会なのですが、ほとんど注目されていません、だから「議員は質問をしない」のです。
一方で、新聞に載り、全戸配布の市議会だよりには掲載される、広域議会では質問ゼロのくせに、市議会の一般質問は欠かさず質問をしている、そんな広域議員のなんと多いことか。
志太広域議会の管轄は、ごみ処理のほか、消防、し尿処理、斎場、看護学校など多岐にわたり、付託を受けた議員であれば関与する問題も抱えているはずだが、注目度が低い議会で質問したところで自分の得にはならないと考えているのでしょう。これまでの経緯と、今回の事態を併せてそう断言せざるを得ない。
市議選が始まり、候補者パンフに経歴として「志太広域組合議員所属」を肩書としている議員が多いが、全く質問せず、ただ座っているだけの議員は”議員”ではありません。
夕方、ウクライナ救援募金の訴えを駅で行っている男の高1生と対話になりました。
親が自民党支持で本人も自民党がいいと思っているけれど、私が毎週駅頭宣伝を行っているのを見ているそうです。
話は多岐にわたりましたが、領土問題で自民党外交が優れているというので、日ロ交渉
では、共産党が「強硬」で自民党が「屈辱」だと(北方4島ではなく、千島列島全体が日本の領土であるというのが党の立場だが、安倍外交は4島以下の2島で妥協し、岸田政権もそれを受け継いでいる事)説明や、共産党が政権をとっても直ちに資本主義をなくすことはしないことなど話をしました。政治に無関心な人が多い高校生世代の中で対話を持ち掛けてくれる人がいるのはうれしいです。私の説明がどれだけ伝わったのかはわかりませんがグータッチをしてくれました。
今日は7時からの定例北口の駅頭宣伝、その後は上記の志太広域議会で午前中。午後は日曜版の配達と夕方の救援募金活動。夜も訪問活動でした。
明日も頑張ります。
3月23日(水) 17期最後の登壇は、当初予算に対する賛成討論でした
市議会最終日。17期最後の登壇は来年度当初予算案に対する賛成討論でした。
2015年、それまで反対していた予算に対し、市政の根幹をなす4つの点(市債残高の減少、職員削減路線との訣別、が克服されたとして賛成に転じ、それが堅持されている以上、賛成の立場を続けるとしつつも、個人情報保護をないがしろにする自治体デジタル化を進める姿勢、学校給食センターの統合は承服しがたい点を指摘しながら、4点の堅持がされている以上は賛成すると述べました。
これに対して、反対討論のような賛成討論だという意見が聞かれました。共産党が反対討論をする場合に、それに対して市当局が作成する賛成討論を、ただ朗読する議員に言われたくありませんが、今日、私が討論であえて触れたのですが「この部分は反対だけど、予算案には賛成だ」という”一部賛成”はあり得ないという問題で、私の討論はそれがそのまま適用されてしまうという。
それでも討論するのは、膨大な予算案に対し、討論もせず、ただただ賛成では問題点を指摘できないと考えているのですが、本来であれば議員提案権(地方自治法では定数12分の1で可能。藤枝は22定数なので2名で充足する)を行使して、修正予算案を提案すべきなのです。
この部分は討論では触れませんでしたが、やっぱり他の議員から「矛盾してない?」との声が聞かれました。今後の課題としなければなりません。修正議案を出せるような、そこまでの能力があるかどうかですが。
朝は南口の定例駅頭宣伝、議会終了後は支持者訪問活動でした。
3月21日(月)22日(火) 年度末、一番大変な時期です。
昨日今日と目まぐるしい2日間でした。
昨日は日刊紙配達で4時起き。その後少し仮眠して党の会議。午後は焼津の党員の皆さんに応援依頼の挨拶等。
今日は朝から夕方まで市役所で事務作業。多くの議員は挨拶回り等で不在だが、明日の討論原稿の作成、明後日の志太広域議会の質問準備、年度末締切の政務活動費の収支報告書の作成、郵送議会報告のあいさつ文の印刷作業、しかもパソコンの調子が悪く、かつ、インクが途中で切れてしまうというアクシデントも重なるなかで悪戦苦闘でした。
しかし、夜の訪問は元気の出る激励の数々。この時期、大変ですが、頑張ります。
3月20日(日) 訪問中、いろんな要望をいただきます。
今日も街頭宣伝から訪問活動と断続的に続きました。寒さもすっかりやわらぎ暑さも感じるくらいです。
対話中、いろんな要望をいただきます。今日も、写真にある道路の舗装を進めてもらいたい事や、ごみ捨て場がネットしかなくてカラスが来てしまう。かご等の対応ができないか。
簡易な事であればすぐ当局に伝えています。一方で、町内会を通じなければならない事や、少々複雑な問題もあり、これらはまとめて選挙後に支部の方と一緒に解決に向けていきます。そうした案件がすでに20件近くになりました。
今日も大勢の方が活動してくれました。児童館の署名集めやビラ配り、静岡市議の市川正さんもハンドマイクで宣伝してくれました。
本当にありがとうございます。
3月19日(土) 児童館建設を求める署名が好評です
連日多くの方が事務所に来てくださって嬉しいです。今日は静岡市からも来てくれ20か所くらいでハンドマイク宣伝をしてくださいました。ありがとうございました。
児童館建設を求める署名が好評です。私の自宅や事務所にわざわざ署名を届けてくれる方もいらっしゃいます。親の付き添いなく、子どもだけで遊べる場所が極端に少ない高洲地区において児童館は必要です。
党員の方が署名集めに回っている私の地元地域で街頭宣伝をしていると、ずっと聴いていてくれた若いお母さんがわざわざ手紙をくれました。
昼前、武田りょうすけ参議院議員が応援に駆けつけてくれました。歯切れも元気もいい話しぶりもそうですが、ロシアを非難する国連決議が141国で全体の7割に過ぎないという声があるが、クリミア併合の際は100数か国に過ぎず今回加わった国は中立国家がほとんどであることや、敵基地攻撃能力を岸田総理が「自衛の範囲」と国会で語ったことなど、現場で奮闘する国会議員に学ぶことが多いです。
午後は、若い党員のU君とアンケートをくれた方にお礼と支持拡大のお願いです。
3月18日(金) 冬に逆戻り
ここ数日、春の陽気でしたが、今日は風が冷たく午後からは雨。冬に逆戻りですね。今日は高洲中学校卒業式にお招きいただき午前中。
悪天候なので午後は市役所で事務作業。議会は最終日を残すのみですが、当初予算案に対する討論を行います。
県下の共産党で当初予算案に賛成しているのは、おそらく藤枝だけだと思います。2015年以前は反対でした。しかし、このころを契機に、市民負担なく(国主導の福祉削減を除いて)市債残高の削減に取り組み400億以上の借金を削減したこと、「少数精鋭主義」を謳い職員削減を進めてきた路線を転換し増員を図ってきたこと、他にもありますが、この2つが大きな柱として予算案に賛成に転じました。
賛成討論は2020年から始めました。本来、賛成に転じた時点で討論すべきだったのですが、これは反省しています。
ところが、賛成討論をしだした途端、今までに例がないとか、賛成である以上格調あるある答弁にしろとか、討論の意味(賛成反対、それぞれの立場を他議員に開陳して、賛同を得るもの)を理解していない議員からクレームが相次いだものだが(共産党が反対した時には反対討論があり、それに対して賛成討論をする必要が生じるが、あろうことかその原稿を当局が書き議員がそのまま朗読する!この悪しき慣習はいまだに続いている)ひるまず3年連続ですが登壇します。でも、この原稿作成が結構大変で…
さらに、最終日は人事院勧告に基づく市職員ボーナス削減議案が出されます。特に、会計年度任用職員(非正規雇用)に適用される点が重要だと考えますので、その調査も。
さらにさらに、最終日後の翌日には志太広域議会があって、320億ものクリーンセンター(ごみ焼却工場)建設運営の契約案件があって黙って見過ごせるものでもない。
天気も悪いので、今日中に片付けようと思ったけれど、能力がそこまでいかずに夕方に限界を迎える。
水泳1500m、今年23回目で総距離35400m。
3月17日(木) 駅頭宣伝からウクライナ支援募金宣伝まで
朝からフル回転。まずは7時から北口駅頭宣伝です。その後は高洲南小卒業式にお招きいただきました。コロナ禍でも、ほぼ通常通り開催で来ているようで何よりです。
午後は日曜版の配達集金。来週は異動もあるので、早めにしなければ間に合わなくなります。一日半かけて行う日程を何とか今日中に終わらせたいがために、昼食も割愛してほぼ達成できました。
夕方からは南口で先週に続いてのウクライナ救援募金の訴えでした。
3月16日(水) 駅頭、街頭宣伝。若い党員の頑張りがエネルギーに。
今日は宣伝の一日。7時からの南口駅頭宣伝に始まり、午前午後と市内12か所で街頭から訴えました。
午前の宣伝は、21歳のU君と2人で行ったのですが、私の宣伝中、共産党の旗を持ちながら周辺自宅を走り回りながらビラをポストインしてくれます。すごいですね。
それだけでなく、出歩いている人との対話もしながら私の宣伝もしてくれました。行動力に私もエネルギーをもらいました。
今日は、3月とは思えないような温かい陽気でした。残り1か月ですね。頑張ります。
3月15日(火) 私道路舗装制度について説明に
大石議員の質問と署名が実り、今年度からスタートした私道未舗装路の舗装助成制度。市内152か所の街頭地区を今後10年かけて、私の道でありながら公費で舗装という画期的な制度です。
年度当初から党員の方と街頭地区の住民へお知らせに回り、舗装が実現して多くのところで喜ばれています。
一昨日、街頭住民の方から説明に来てもらいたいとの電話があり夕方伺いました。
今日は午後の予算委員会を挟んで、終日事務作業でした。
3月14日(月) 予算委員会
今日も議会。予算委員会の総括質疑。午後は志太広域議会の対応や議会報告の作成作業など。市議選に向けて碌な活動ができない「もどかしさ」と雨上がりの晴天に山にも行けない「無念さ」があいまって複雑な気分です。愚痴を言える立場ではないのですが。
どうしても体を動かしたい衝動に駆られるような気持で夜プールへ。
1500m。今年22回目で総距離33900m。気が晴れました。
3月13日(日) 表面は自民党だが、支持は共産党だよ
今日は断続的に訪問活動です。
ふれあい広場で子どもたちがボールを利用できないのは可哀そうだ、一人暮らしの妹がいる、なんかあったら助けてほしい、石井さんに期待している等々、激励や頼りにされている言葉を頂くだけで奮い立ちます。
わけてもうれしかったのは、一通り挨拶が終わって帰ろうとする私をわざわざ呼び止めて「この辺は自民党が多いから表面上付き合っているけれど、共産党はなくてはならない。夫婦そろって支持しているよ」との激励でした。
事務所にも藤枝在住の人はもちろん、今日は焼津や島田、袋井からも党員の方が応援に来てくれました。多くの人に支えられていることに感謝感謝です。
3月12日(土) 藤枝駅南北自由通路の鳩のふん。きれいになりました。
藤枝駅をまたぐ南北自由通路の南口屋根上に鳩が住み着いていて、フンや羽根の苦情が複数の方から寄せられました。
見に行くと、ご覧のようなひどい状況です。県外から電車で藤枝に来て、駅改札口を抜けて南口のホテルオーレに行く人は必ず通る場所です。第一印象としては最悪ですね。
さらに、一部吹き抜けになっているので、羽根が地上にまで舞い降りているようです。
担当課に届けたところ、他にも苦情が寄せられているようですぐに対処してくださるとの事。担当職員から終了したとの話がありまして見に行くと綺麗になっていました。ありがとうございます。
議会が続いたので、ろくな活動ができないまま一週間過ぎてしまいましたが、今日は街頭宣伝から。
あちこち訴えていると、激励の数々がうれしい。
表立って共産党を応援できない封建的な土地柄だけど、支持するといってくださる方。わざわざ聞きに来てくれて終了後挨拶に行き、応援カードの記入をお願いすると迂闊にも持ってこなかったというと、手帳でもなんでも書いてあげるからと言ってくれる方、こうした激励が励みになります。
議会は、まだ続くのですが、最後まで頑張ります。
3月11日(金) なくそう浜岡原発3・11行動に参加、市立病院看護師サービス残業の是正を求める。
福島事故から今日で丁度11年。なくそう浜岡原発藤枝市民の会の皆さんが世界から原発をなくすリレートークを南口で行うという事でお招きいただき参加しました。
私は今でも3万8千人もの方が避難生活を余儀なくされている、原発は他の災害と違い長きにわたり犠牲を伴う事、市議会決議に非核平和宣言都市の立場を盛り込むことを意見し採用されたこと、ロシアがウクライナの原発を攻撃していることは非常に”効果”があるからこそであり、日本の原発は対テロ対策は全くとられていない事から他国からターゲットとなりやすく、国を守る意味でも廃炉を進めるべきだとトークしました。
今日も議会で常任委員会。市立病院の看護師のサービス残業について質問。
複数の職員から聞いた話では、病棟の看護師で一番のリーダー格が帰らない限り立場が下の後輩看護師は帰れないという事。その間の残業手当等が払われてなければサービス残業となります。(違法)
今日は看護部の出席がなかったのですが、病院側は指摘を否定できず事実であれば是正するとの事。ただ、これは「残業しなければ仕事が完結しない」という実情があるので、その点、有資格者でありながら働いていない人への働きかけ、島田市民病院のように病院内に看護師養成学校を作ることで”確保”を図るべきだと具体的な話も差し出しているのだが、なぜか後ろ向き。
その後は予算委員会のまとめや日曜版の配達などで終日でした。
3月10日(木) ウクライナ国民救援の国連提出用募金のお願い
夕方、南口でウクライナ救援募金のお願いを参議院予定候補「鈴木ちか」さんと党員の方とチームで行いました。
ロシアはウクライナ侵攻の理由としてNATO軍からの撤退やウクライナ国内の自国民保護を掲げていますが、現地で犠牲になっているのは何の関係もない小さな子どもをはじめとした市民たち。人道回廊がどうのこうの言っているが、避難先はロシアとベラルーシでは意味がありません(わざわざ敵国に逃げる人はいないでしょう)
国際社会がやるべきことは、世論や運動でロシアを孤立させると同時に、現地への人道的な支援です。日本共産党としても国連あて募金の取組です。
1時間ほどの行動でしたが、特に下校途中の高校生の反応が多くあり、わざわざ引き返してきて募金してくれる子も何人か。中には、学校で友達に呼び掛けて集めたいから連絡先を教えてと言ってくれた女子高生もいたり。用意していたビラも途中でなくなるという。こうした若い世代のためにも、絶対に戦争する国造りは許されないと。改めて、反戦平和を貫いてきた党員であってよかったと思う宣伝でした。
ビラがなくなるといえば、朝は定例の北口の駅頭宣伝だったのですが同行党員の方の頑張りでこちらも完売でした。
今日は、予算委員会三日目で、それを挟んで、かつ日曜版の配達をこなしながら頭も体もフル回転のなかでの朝晩の駅頭だったのですが、疲れも吹っ飛ぶ経験でした。これからも頑張ります。
3月9日(水) 市立病院駐車場不足問題、当局との認識の差がありすぎた。どうするか。
予算委員会2日目。健康福祉部、市立病院所管分の審査。
市立病院の駐車場問題は多くの方が不満を持っていると思います。先日、ある病院従事者から話を聞く機会がありました。
患者が開口一番「駐車場が遠くて困る」苦情受付からスタートするという担当者の心境はいかんばかり。。これでは良好な関係を作るのに大変でしょう。
従事者の話を紹介しながら改善を求めたのですが、実際渋滞が起きていないので問題はないという答弁しか出ない。渋滞がないから?困っていないという事です。当事者と現場との認識の差がありすぎます。もっと、現場の声を突き付けていかなければ。
委員会が午前中で終わったので、午後は議会報告の作成にあてました。
昼憩水泳1500m、21回目で総距離32400m。運動不足は否めない。
3月8日(火) 新給食センターは、現在の中部給食センターの向かい側に。浜岡避難訓練は実効性あるものが結局不可能。予算委員会初日。
今日から連続的に予算委員会です。総務文教委員会所管分の審査です。
市内3か所ある学校給食センターを2か所に統合する計画が、市民不在の下で進められています。統合すれば、それだけ大量の食材の調達が必要で地産地消にも反しますし、おいしい給食から逆行します。西部、北部、の両センター老朽化が理由ですが、なぜ3か所(中部、北部、西部)ではなく、なぜ2か所(中部ともう一か所)にしたのかという問いには生産性とか費用面との答えのみ。
もっと驚いたのは、もう一か所のセンターを現在の中部の向かい側に建設する意向だという事。これでは岡部や瀬戸屋、大洲と言ったセンターから遠い地域の学校の給食は運搬中に冷めてしまうでしょう。こういう観点がないのか。
浜岡原発災害時の避難計画、中身はこれまでブログに書いていますが、自家用車で埼玉や神奈川に避難するという。自家用車を運転できない人は指定避難場所まで”どうにかして”来てバスで避難するという荒唐無稽な代物ですが、来年度から避難”訓練”をするといいます。いったいどういう訓練ができるのか?答えは、各地域で個々に訓練をするという想定。放射能漏れが起きている状況で各地ごとの訓練に何の意味があるのでしょうか。市もやらされている立場なのでそれ以上は聞きませんでしたが、訓練をやったという事で安全だという既成事実化がないよう注視していきたい。
3月7日(月) 「サロメ」と「エレクトラ」
私の楽しみは晩酌です。これだけはやめられません。
特にオペラをみながらオカメインコをいじりつつ一杯やるのは至福の時です。最初から最後まで途切れなく観なければ気が済まないのですが、モーツアルトは3時間くらい、ヴェルディやプッチーニも2時間強が多い。ワーグナーは4時間が平均か。
休みの前の日は、これらの作品をチビチビやりながら全幕鑑賞をするのが最大の楽しみでしたが、今はそんな時期ではありません。
制限されているこの時期、観る機会が多いのがシュトラウスのサロメとエレクトラです。どちらも1時間半位で”飲みすぎず”に済みます。劇的な展開の連続も魅力的でお勧めオペラです。作曲者がナチスと交流があったという点だけは許容しがたいのですが。
早朝日刊紙配達後、党の会議。市役所で事務作業の一日でした。
3月6日(日) 訪問と街頭宣伝から
北風が強い寒い一日でした。
朝事務所に行くと、既に大勢の方が集結してくれています。本当にありがとうございます。皆さんの頑張りと市民からの激励が元気の源です。
午前午後と断続的に訪問と街頭宣伝でした。
街宣をずっと聴いてくれていたご婦人から「何もできないけれど」と激励カンパを頂いたり、アンケート回答者宅へ伺うと「本人が来るとは思っていなかった」と言ってくださったり、神社の奉天料を町内会単位でまとめるのはおかしい、アメリカの真の闇は恐ろしい等々、いろんな対話と出会いがありました。市民の方の思いは本当に多様です。
3月5日(土) 石上清兵衛と大石内蔵助
日曜版の配達の後、高柳の義農「石上清兵衛」没後330年の供養祭にお招きいただきました。
藤枝市民は清兵衛さんを知っているでしょうけれど、過酷な年貢の取り立てに困った農民を代表して代官に減免を直訴、代官は清兵衛のクビを撥ねることで認めてやるという要求に従い自ら命を投げ出した史実です。今日の供養祭では、地元の子ども達に、この話を伝えていく活動が報告されました。
私が生まれ育った京都市山科には、家の近くに大石内蔵助の仮住まい(浪士と吉良邸討ち入りの協議が行われたとされている)があり、清兵衛と同じように私も小学校で地元の勇士だと教えられた記憶があります。ただ私は有名な人がいるんだな、とは感じたものの、その生きざまに学ぼうとか教わろうという気持ちは率直に持てませんでした。
清兵衛さんと内蔵助も、自ら命を差し出したという点では一致します。
しかし違うのは、一つは内蔵助は家老という権力を持っていたこと、清兵衛は一農民に過ぎない。この差は、実行できる手段が限られている。内蔵助と違って清兵衛は直訴しか事態を打開する手段がなかったのではないでしょうか。一方で、山科の屋敷は、内蔵助が討ち入りを諦めたようにみせかけるために、連日大宴会を開いていたという話がありますが、清兵衛はそんなことが出来る立場では全然なかった。
決定的に違うと思うのは、内蔵助は自分の目的達成(仇討ち)の行動だったが、清兵衛は農民の救済のために命を投げ出したという事です。他者を救うための行動であった。
もし私が高柳に生まれ育っていて清兵衛さんの話を聞いていれば、例え知名度がなくてもスッと心に入っていたと思います。実行委員会や来賓の方の話を聞きながらそんな思いを持ちました。
午後は2ランドで訪問活動。前半は駅南支部の方と、後半は一人で。
ふれあいサロンのなり手がない。近所の建築工事の騒音で困っている。共産党のアンケートの取り方には工夫が必要。戦前はサツマイモばかり食べていた、今は消費税で米2升取られている等々、いろんな対話ができます。
3月4日(金) 市街化調整区域青地からの転用で初めて第一歩が。
市議会4日目。一般会計予算案に対しての質疑で登壇しました。
この中で私としては画期的とも思える答えがありました。高洲地域には、数多くの耕作放棄地があります。これは農業だけでは食べていけず後継者もいない事が主因ですが、この土地を買いたいという人がいても農地法等の規制で青地農地は農地以外の転用が認められる、売りたくても売れません。
高齢者が多いため、雑草の処理がやりたくてもできず耕作放棄地となってしまっているのです。アンケートでも改善を求める声が多数寄せられました。
農業は国の基幹産業で保全は当然ですが、乱開発以外の周辺のうちに影響を及ぼさない程度の宅地化転用は認めてもいいのではないでしょうか。市にその権限はなく今日の質疑は大洲で特区的に行われる制度(優良田園住宅制度)を高洲等に拡大できないかといものでしたが、制度の拡大事態は不可だったが、状況を調査して何らかの市の計画の中に位置づけていくことを考えるとの答えでした。
青地問題は、これまでも何回か取り上げましたが、岩盤規制のような状況で一向に事態が進行しない中で、思ってもいない良い答えがありました。
私の質疑中、他議員から「質疑じゃない」と毎度おなじみの不規則発言(ヤジ)がでました。それに対し大石信生議員が毅然と反論し「自治法において質疑と質問の区別はされていない。一般質問と議案質疑の違いは、議案に関わる事だけを聞くかどうかであって、質疑と質問は同じだ。予算案に対しての質疑に十分該当する」と応戦してくれて、以降の質疑は何の問題もなく進められました。
大石さんの言う通りなのですが、この問題はこれまで何回も何回も議会内で問題視されたが、その都度、同様の説明をしているのですが、それに対して何の反論もせず、同じような不規則発言を繰り返すというのは、声を上げれば我々が止めるとでも思っているのでしょうか?
さらに言うなら、今回の議案は市政経営の根幹をなす来年度予算案だ。まともな議員だったら質問したいことは山ほどあるのではありませんか?なぜ、この機会を活かそうとしないのですか??付託委員会があるからという理由で本会議質疑をしないのは市民から見て「サボり」と見なされる。一般質問じゃないからという理由で本会議質疑しないのを当然と考えている時点で議員失格だ。
3月3日(木) 55年間お疲れさまでした。大石さん最後の一般質問、北口駅頭宣伝
市議会3日目。私の発言はありませんが、大石さんが55年間の議員生活で最後の一般質問で登壇しました。
私が53歳ですので、生まれる前から議員をやっていた大先輩です。私の初当選以来12年間議員生活をお世話になりました。
大石さんに教わったことは数々ですが、一番強調されたのは「知らないことを聞くだけの伺い質問に陥るな」です。
初当選当時の私は、テレビでよくやるように執行部と徹底的に闘うのが議会質問だとばっかり思っていました。生意気ですね。大石さんは、現場の実態を調べ、意見が反する相手であっても調査しないと、それは成り立たないといわれたことを覚えています。
その意味がわかるまで一年くらいかかったと思いますが、叱られた記憶はありません。むしろ、よくやった。歯切れがよかった。など、褒めてもらった印象しかない。言いたいことはたくさんあったでしょうけれど。
一度だけ叱られたのは、公園設置を求める質問で、通告の段階で私が譲歩して新設でなくても借地でもいいとしたこと。なぜ、最初から新設を求めないのか。議論の段階で借地に見通しを立てるようにしなければ当局は真剣に向き合わないと。この時は他議員が見ている前で叱られました。悔しい思いをしましたが、今になってみれば、私が今訴えている児童館建設はまさしく当てはまります。市に児童館がないという現状から訴える事が必要だと、場所等の問題は、それに付随したことであるという事が。
他議員が行わない議案質疑の重要性もよく言われました。一般質問以上に大事な機会であるという事は今となっては私もよくわかります。
経験を活かした話術も独特で、いつだったか「(市長が未熟だという意味ではなく経験年数が少ないという意味で)北村市長も年数から言えば私から見れば若造だ」と発言しても、議場を爆笑させるられるのも大石さんしかいないでしょう。
私が2期目の当選(議員経験4年)した翌年でしたけれど、大石さんは私を会派代表にするといわれました。当初は固辞したのですが、2人しかいませんでしたのでゆくゆくは代表を務めなければいけないという引継ぎの観点から受けましたが、早いうちから受けてよかったです。この間、他会派他議員との折衝がいかに大変かということを早い段階から学ぶことが出来ましたので。
今日は北口朝の宣伝。議会後は日曜版の配達と、志太広域議会ヒアでした。
3月2日(水) 代表質問で登壇、南口駅頭宣伝
水曜日定例の南口駅頭宣伝です。今日は議会で登壇の日なのですが、それを理由にサボってなるものか。と。むしろ、激励を頂く事で励みが付きます。いつも挨拶してくれる高校生がいます。
代表質問、成果と言える面は。
・学童保育の感染症対策ガイドラインは策定していく(これまでは学校基準だった)
・保育園が救援になった際の「代替保育特例措置」は制度構築に向け進める。
・生活困窮者ワンストップ窓口は福祉部門以外の納税等他部署との連携体制をとる
・買い物弱者対策、移動販売車への補助は、他施策を含め総合的に検討する
などが、ご報告できると思います。
詳しい内容は、後日「2月議会報告」でUPします。
3月1日(火) 市議選必勝を目指しての演説会、蓮華寺池でロシアの侵攻に抗議するアピール行動など
市議選2議席確保を目指す演説会を行いました。大石さんの後継の「さとうまりこ」さんと市議選への決意表明です。参議院予定候補「鈴木ちか」さんと、元衆議院議員「島津ゆきひろ」さんが駆けつけてくれました。
私は、病院給食の直営化、補聴器助成制度、私道舗装制度などの議会での実績があるけれど、それには署名や請願などの市民運動があってからこそ実現がなされたこと、藤枝にない児童館の建設を市議選の公約の柱として訴える事を話しました。
コロナで入場制限、また会場と議会日程の関係で平日で、焼津での平和運動とも重なるという日程しか取れませんでしたが、思った以上の方が来てくれて励みになります。
終了後は、蓮華寺池へ、冷たい雨が降ってきましたが、ロシアのウクライナ侵攻STOPの声を上げました。
安倍や橋下は、核武装が必要などととんでもない発言をしています。また、9条を変えて国を守る規定を作るべきという議論もあります。
しかし、日本にプーチンのような独裁者が現れ他国を侵略しようという事態になったときに、その歯止めとなるのが9条ではないでしょうか。安倍も戦争したくて仕方なくて、在任中に強行採決や閣議決定を連発しその体制を作ってきたけれど、その歯止めの役割を果たしてきたのが9条だった。仮に、ロシアに9条があれば今回の事態は起こらなかったのではないでしょうか。