1月31日(水) 南口駅頭宣伝、就労支援施設のヒアと見学、視察対応など
水曜日は定例の南口朝の駅頭宣伝、駅南支部2名の方と7時から行いました。
その後は、ご相談があった障がい者の就労支援施設にヒアリングと見学に伺いました。国の施設への給付基準が低く、多くの施設が利用者(障がい認定を受けていながら仕事をしている方)の工賃維持や、職員の給料維持に苦しんでいます。その中で、市として何ができるかを話し合い、今後につながる取り組みをしていくこととなりました。
午後は視察対応。足利市議会の議会運営委員会の方々です。
1月29日(月) 南伊豆遊歩道、入間(いるま)~妻良(めら)まで、43年前亡父との思い出を辿って
4年前、亡くなった父は山が好きで、厳冬期の剣岳をリーダーとして引率するほどの力量でした。
少年の私もアチコチに連れていかれましたが、高校生になるころにはすっかり反抗期になってしまい父と山に行くことは全くなくなりました。不貞の息子の不成長に、さぞがっかりしたでしょう。
父は簡単な山行の日記を記しています。今日辿るのは私が小学校6年の12歳の時(1980年12月26日~27日と日記にはあります)に父と歩いたコースです。
南伊豆の石廊崎から出発し、ひたすら海岸線を西へ辿り、途中の入間の民宿で一泊、翌日も海岸線ルートで妻良まで歩いています。冬の海岸線は強風で、日記では風速30m~40mと書いてありますが、幸い今日は晴れて無風です。
ここ数日、たまに父が夢に出てきます。では、行ってみますか。
日刊紙配達を済ませて出かけてきました。
日帰りでしか日程が取れないし、縦走ルートなのでバスを利用せざるを得ません。
いろいろ検討した結果、二日目に歩いた入間~富戸の浜~吉田~妻良のコースにしました。
10時下田駅発のバスで石廊崎乗り換え、入間入り口バス停に11時前到着です。
今回の歩行ルートの所要時間は5時間強なのでこの季節で11時出発は日没が懸念されますが、これが朝一番バスです。
別ルートで入間集落まで入るバスも数本あるのですが時間はもっと遅くなります。
この辺りのバス路線は複雑怪奇で準備の段階で散々苦労、面倒くさくなってタクシーの利用も考えましたが下田から入間まで6000円と聞かされて断念しました。
入間入り口バス停から20分ほど車道を下り入間集落に入ります。父日記は断片的で民宿名も記載していません。冷たい風にさらされた一日目を歩き終わった民宿での水炊きが美味しかったと書いてありますが、うろ覚え。それよりも民宿内で大声で夫婦喧嘩していて、奥さんが泣きべそかきながら食膳を用意していた記憶があります。
集落外れから登り始め複雑怪奇な海岸線の典型と言われる千畳敷に至ります。伊豆もここまでくれば下田や堂ヶ島と違って全く違った顔を見せてくれます。風がないので昼食とも考えましたが、この先のルートに不安があるので先に進みます。
今日のコースは「山と高原」には記載があるものの、愛用しているヤマップにコース紹介がありません。父との思い出とバスの事でかなり”予習時間”を費やしたので、海岸を歩くだけだという印象のまま歩き始めた自分の愚かさを知ることになります。
典型的なリアス式海岸、海近くなのに標高300mを超える山があります。海岸線遊歩道と名付けれていますが、実際は海岸沿いの複雑な山並みを登っては浜へ下る、そしてまた登って次の浜へ下るわけです。
中間地点の吉田集落までの間に2度の登り下りがあるのですが、これが急坂の上、滑りやすい。
父との山行の断片的な記憶の中で、草原上で風にさらされて立ち往生した記憶が鮮明にあります。それがどこだか判らなかったのですが、富戸の浜への下りではっきりここだと分かる箇所がありました。
父の日記には「下りだから降りれたけど、登りだったら命を落としたかもしれない」とあります。おいおい、息子をそんなところに連れて行くなよ。(上記写真の場所)
今日は無風でしたが、風の通り道になっているのでしょう。ここだけは冷たい風が吹いていました。
何とか、富戸の浜へ下りましたが、甘く見積もっていて水一リットルしか持ってきませんでした。
昼食は湯沸かしラーメン。貴重な水を使いたくありません。小さな集落で自販機などは全くありません。飲料不可と書いてあるトイレの水を煮沸で使用。
気を取り直して後半の吉田~妻良ルートに進みます。入間吉田ルートと違って、ジャングルゾーン、林道ゾーンなど4つの色分けがされているので、これまでより楽かな。と、思っていました。
まず、出だしの急登。中間地点での倒木によるルートロス(妻良からのバス時間もあり20分位彷徨した時は、まじ焦りました)急いで歩いたため太股のケイレンなとハプニング続出。亡父どころの状況じゃありませんでした。
休み休み進み、何とかなりましたが、予習不足を痛感。足全体が筋肉痛になるようなこれまでにない違和感がありましたが、妻良発5時前の下田行バスをゲット。
それにしても、空の青と海の青が素晴らしい。苦労ばっかりではありません。
50歳にして始めた我が山歩き。亡父が「油断するな」と言っているのでしょうか。
1月28日(日) 小林議員葬儀など
昨日は、小林かずひこ議員の葬儀、今日は日曜版の配達集金、党の会議など。
水泳2000m、今年8回目、総距離16000m。
1月25日(木)~26日(金) 北口駅頭宣伝、志太広域議会視察など
寒さ厳しい朝でしたが木曜日は北口で朝の駅頭宣伝です。今朝も7時から行いました。赤旗見本誌が8部受け取られました。
今日から1泊で志太広域議会の行政視察です。春日井市の看護専門学校と四日市市の消防本部です。視察報告は後日UPします。
同僚の小林かずひこ議員が亡くなりました。68歳の若さです。
今の市議会で4期目議員は私と小林議員だけ、しかも同じ地区です。自民党系会派ですから意見の相違はもちろんありますが、気の置けない人柄で共産党の私に対しても気さくに接してくれました。
先週土曜日のタウンミーティングの帰り際に何気ない「雨降ってる?」という会話が今生の別れとなってしまいました。
亡くなったのは今週火曜日、当日は彼の日課である早朝散歩と横断歩道の旗振りもやっていたとの事ですが、昼頃に自宅で心不全になったそうです。帰着後に通夜へ。
何とも寂しい限りです。合掌。
1月24日(水) 事務作業等
今日は、たまっていた作業の処理でした。
水泳2000m、今年7回目、総距離14000m。
1月23日(火) 里山歩きを楽しんできました。渋沢丘陵から弘法山への縦走(神奈川県秦野市)
なんとか日帰りの日程が出来たので山へ行きました。神奈川県の里山ハイクコースです。
本当はもっと本格的なところに行きたかったのですが、先週に続き今日も本格的な冬型の気圧配置です。私の力量では、先週同様に撤退が必須です。
今日のコースは、小田急の渋沢駅からスタートして、3つ先の鶴巻温泉駅へ至るものですが、最高標高が319mしかありません。道中のアップダウンもほとんどなく累積標高は800m程度です。
にもかかわらず、このコースを選んだ理由は一つは丹沢の山並みが見渡せることです。足繁く通ったおかげで複雑な丹沢山系の位置はほぼ把握しています。天気もいいし楽しみです。もう一つは下山後の温泉です。鶴巻温泉は駅前に「弘法の里湯」がありリーズナブルな金額で入浴ができます。
始発の新幹線で出かけ、お馴染みの小田急で渋沢へ。7時半スタート。
まずは西端の頭高山(ずっこうやま)を目指します。駅へ急ぐ通勤通学者に逆らうようでなんだか申し訳ない気がします。
1時間ほどで頭高山へ到達、東へ進路を取ります。
のどかな里山ルートですが、左手には秦野市を挟んで丹沢の峰々が見えます。大山から三の塔、塔ノ岳、鍋割山までのパノラマ画、ああ、あそこに行ったんだなあ~と考えると感慨ひとしおです。
最高峰の八国見山(319m)からは先週末の降雪ですっかり雪化粧した富士山が見え、少し下った先は箱根方面も望めました。
気分よく進むと震生湖(しんせいこ)という湖に出ます。ここから市街地に出て変哲もない住宅街を1時間も歩いて昼前に秦野駅に着きます。(途中バス停がありましたが、2時間待ちでした)
ここで終わってもいいのですが、あまりに呆気ないので東側の弘法山を経て鶴巻温泉に至る事にしています。
そのため、中間地点の秦野駅で昼食の予定としており、バーナー等は持参しませんでした。カレーでも食べるかな~と気楽な感じでいたのですが、意外にも駅周辺に店はなく、なんでここで食べなければいけないのかと言う地方色ゼロの「餃子の王将」で済まします。定番のチャーハンと餃子、美味しい。
気を取り直して秦野駅から歩き始めます。
市街地を歩いて20分程で「万葉の湯、秦野」があります。ここは、館内アメニティが充実しており、丹沢下山後に何度も利用しているオキニの宿です。
着替えはリュックに入っているし、激しく誘惑されましたが、見て見ぬふりをして登山口へ。
いきなりの急登です。30分ほどですが、3時間以上歩いた上に、チャーハン&餃子の”満腹の身”としてはこの登りはなかなか辛い。
ほどなく浅間山につき、10分ほど頑張ると展望台のある権現山に着きます。独自の展望塔があり、敷地も広く桜の季節は賑わう事でしょう。
すぐ先に弘法山。井戸水が汲めるようになっていました。
里山と言えど、既に走行距離20㎞です。いい加減くたびれたところでようやく、弘法の里湯着。湯ったりしたのは言うまでもありません。なんだかんだ言ってヤマップのカロリー計算では滝子山と同レベルでした。
出来れば泊まりたかったのですが、日程の余裕がありません。帰ります。
今日も楽しい山行でした。
1月22日(月) 参考にしたい山梨市議会の「関連質問」制度、南口駅頭宣伝など
2時起きで日刊赤旗の配達、4時に帰宅し仮眠して7時から南口で駅頭宣伝です。赤旗見本誌の配布を行ったのですが、7部程度でした。
山梨市議会、議会運営委員会の方々が視察に訪れてくれましたので対応。本市議会の議会改革(?)を学びにという事ですが、山梨市議会では「関連質問制度」と言うものがあるそうです。
一人の議員の一般質問が終わった際に、市当局の答えに納得のいかない点があった場合、他の議員が質問するというものです。
通告制を採り、扱いか否かを議会運営委員会で諮り正式な本会議で行うという事で、市当局も緊張感を持ちますし、議員も下手なことを聞いたら恥をかくことになります。最近はあまり活用されていないという事ですが、議会の質向上にはとてもいい制度だと思いました。
うちの市議会の方が学ぶことが多いのでは?
水泳2000m、今年6回目、総距離12000m。
1月21日(日) タウンミーティングなど
昨日は高洲地区で議会と市民との意見交換会(タウンミーティング)、今日は日曜版の配達などでした。
水泳2000m、今年5回目で、総距離10000m。
1月19日(金) 南口駅頭宣伝、学校給食センター統合地産地消の具体的取り組み(ハード面)がほぼ明らかに、介護タクシー実現に向けて当局と意見交換会
南口で7時から駅頭宣伝後、議会へ。学校給食センター統合で報告がありました。この問題は、現在市内3カ所あるセンターを2カ所に統合する事で、大量の食材の調達が必要になる事から、美味しい給食ではなくなるという観点から何度も議会質問を重ね、当局は統合は進めるものの建設段階で地産地消が進むように、これまでのセンターにはない機能を新センターには持たせることを答弁していました。
今日の説明では、これまでのセンターでは業者からの食材受け入れを1ヤードにしていたものを、食肉、野菜などに分類して5ヤードで受け入れるとし、保存のきく根菜類はさらに1か所で受け入れ態勢を作り、地元食材(少量でしか調達できない)の受け入れを可能とするとの事でした。これまでの議会論戦が具体的になった事は嬉しい事です。
一方で、どういう食材が可能なのかと言う点については、議会答弁では、そのために新たな職員を雇うとしていながら、それが達成されず、現状では手探りだという事です。
その後、介護タクシーについて、当局(地域包括、都市交通)と利用者の方を交えて意見交換会を行いました。
車いすの方の移動手段として、介護タクシーがあります。ところが介護事業所の人手不足で撤退が進み、普通のタクシーを利用しなくてはならなくなっています。保険制度が使えないので利用料は10倍にもなります。私の議会答弁では介護保険だけでの問題解決は難しいので、他の移動手段を用いて介護タクシーのニーズに応じる制度を作っていきたいという事でしたので、今回は地域包括支援センターと公共交通担当課の同席も頂きました。
一番の問題は人材不足です。タクシーの運転手すら確保が難しいのに、運転(2種免許)+介助(ヘルパー資格)が必要とされる。そういう中でどう実現を図っていくか。が問われています。
市は、現在行われている”軽度”の要介護の方に対して買い物などの移動支援を実施している事業所に対し、補助額を増額してより”重い”要介護の方への移動支援が実施できないかと事業所に折衝をしている、一か所からは好意的な返答があるが条件がある、その条件をクリアーするために尽力しているという事です。
いずれも前向きに取り組んでいただいています。共産党は批判ばかりだと言われますが頭越しの批判は避けるべきだと常々考えているつもりです。問題解決には市担当者と連携を取りながら、進めて行くことが大事です。
午後は議員研修会。議員のハラスメントを問うものでした。時代にマッチングした内容でした。
議会には資料請求権があるのですが、これは議会としてであって議員個々にその権利はありません。
議員が議会外で当局に数値等を聞く事は、当たり前のようですが実際はそんな権限はありません。出すかどうかは職員と議員との信頼関係にあると言ってもいいでしょう。
私が普段接している場の中で、当局が「市議会に説明をしていないから」(特に予算関係)と言う理由で説明を拒むケースがいくつかあります。
予算案として上程されるまでの過程で、様々な調査等が行われているはずであり、その文書は当然あるはずで、情報公開条例に基づく公開対象になるはずなのですが、それを出さないのは議会が「議会に出す前に公にすることはケシカラン」と権威主義を振りかざしてきた結果だと思っています。
ところが講師は「市の条例に基づく行動であると考えられるので、当然です」と言われました。認識を改めるかどうか、考え直さなければなりません。
1月18日(木) 代表者会議と議会運営委員会との違い
9時から議会運営委員会。ここで平井委員長から台南市議会との協定を巡って混乱した原因のひとつである会派代表者会議の在り方について提起がありました。
本会議、委員会をどう進めて行くのか、具体的手順を決めるのは議会運営委員会で法的に位置づけられています。藤枝市議会の場合は、22名中9名で構成し、常任委員長を優先し各会派で割り振っており、私もその一名です。
一方で、会派代表者会議は議会運営を円滑に進めるための会派間の調整の場とされ、22名中5名で構成され、私はここにも入っています。
しかし、会派代表者会議は議会運営委員会の下部組織に過ぎません。代表者会議でやる事と言えば、主に人事案件。例えば、特別委員会を設置するには議決が必要です。委員会にどの議員が所属するのかも議決には必要です。委員会構成は各会派の議席数を按分する事になっているので、議決前に誰が特別委員会に所属する事を事前に決めていく必要があります。そういう、手順、のために設けられているのが会派代表者会議です。
ところが、台南市議会との協定においては、議会運営委員長(平井議員)が参加していない会派代表者会議で段取りの全てを決めてしまった。協定を巡って、未だ混乱する市議会の原因がどこにあるのか。平井委員長も訳が分からないまま、混乱しているので委員長自らが調査に乗り出したのでしょう。
11月議会の最終日の討論で述べていますが、会派代表者会議に議会運営正副委員長が参加していない事が最大の誤り。
どうしてそうなってしまったのか。真剣に検証する必要があります。
一方で、今日の議論は、ほとんどの委員が座長は議会運営委員長でなければならないという点で一致、人選についても来年度は旧来の形にとらわれないこととするという点で概ね一致しました。
これは嬉しい事です。今まで5名の代表者会議の中でただ一人言ってきたことが、議員共通の認識となって拡がっている証と。
それにしても、日々必死に生活を維持している市民の方から見れば、どうでもいい問題です。
勢力争いに過ぎません。やったところで評価されるわけでもないし。一体、俺は、いつまでこんな無意味な事に労力を費やす必要があるのでしょうか?
北口駅頭宣伝7時から、党の会議など。夜は藤枝地区労新春のつどいに佐藤議員ともどもお招きいただきました。
1月16日(火) 北風にCOLD負け!笹子雁が腹摺山(行けず)
惨敗………
冬型の気圧配置で日本海側は大雪の生憎の天候ですが、山梨県大月市の笹子雁が腹摺山(がんがはらすりやま)に出かけてきました。
週末には寒気が和らぐのでそれまで待ちたいのですが、日程の都合がつきません。
コースは、中央線の笹子駅から大鹿峠へ登り、稜線を経て腹摺山へ至り、笹子駅へ戻る周回ルートです。
それなりに強風対策をしましたが、太平洋側だし標高は1300m強なので、なんとかなるだろうと思いました。
昨秋登った滝子山と同じ笹子桜森林公園から登り始めます。朝7時、凍てつく寒さですが、風はほとんどありません。南側の斜面ですから、山が風を遮っているのでしょう。
滝子山ルートとの分岐点(道証地蔵)を過ぎたあたりから本格的な登山道になり樹林帯の斜面を登ります。眺望はあまりありませんが、天気はよく滝子山もバッチリ見えます。
登山道も歩きやすく、フサフサする落ち葉を踏みながら気分よく登っていきました。
2時間ほど登って大鹿峠に着きます。ここから、お坊山、米沢山などいくつかの峰を越えつつ雁が腹摺山に至るのが本日のメインなのですが、稜線に出た途端、強烈な北風が!ある程度は考慮していましたが、想像を超える強風です。
しかし、ここからが今回の山行の”本番”なので我慢して10分ほど登りましたが、みるみる体温が奪われていくのが判る。ここから2時間半の稜線歩きは不可と判断し、撤退。第一ラウンド開始早々TKO負け。
よく考えてみれば、八ヶ岳や南アルプスを挟んでの山域で間には甲府盆地がある。シベリアからの北風からの”通り道”になっている地理条件なのでしょう。地表から吹き上げるようなこれまで経験したことのない風で、あのまま進んでいけば間違いなく命を落としていたでしょう。
ミジメさを嚙み締めつつ、失意の下山でした。
山は逃げません。いつかはリベンジします。
1月15日(月) 党会議など
2時起きで日刊紙配達。仮眠して市役所へ。事務作業等、午後は党の会議でした。
水泳2000m、今年4回目で、総距離8000m。
1月14日(日) 焼津新春のつどい、駅南後援会新春のつどいへ
今日は共産党後援会主催の「新春のつどい」が2カ所で開かれまして、それぞれ招待いただき挨拶しました。
焼津市議会では、11月議会で市内全中学校の体育館の冷房設備が予算化されたとの事。能登半島地震で体育館が避難所としての機能がされず、物資の不足と相まって避難所に避難できない人がたくさんいる状況が判っています。
しかし、これは過去の教訓から判っていたことです。焼津市議団は熊本地震後の視察で学び2018年議会当時から求めていました。これが今回実現しました。
ただ、折角空調があっても電源がなければ意味がなく、発電装置を備えたものでないと緊急時の対応にはならないという事です。
体育館の空調は藤枝ではまだ未定。藤枝市は近隣市町、特に焼津の状況を気にして施策を講じる傾向が強くあるので、お互いに情報共有しながら前進を勝ち取っていきたいと思いました。
午後は、藤枝駅南JCP後援会の新春のつどいです。
議会報告と質疑応答が主となりました。マイナカード、オーガニック給食、児童館、給食センター統合など、多彩な質問が出ました。
冒頭、志位委員長が入党した動機や、両親との接し方などを述べたDVDが流されました。
志位委員長は両親とも党員だったのですが、私の父親(故人)は公務員で自民党支持者でした。議員になる前の話ですが、私が何気なく赤旗を呼んでいると「変な新聞読んでるな~」と平然と言ったものです。
母親(健在です)は政治には全く興味がなくテレビだけを情報源と考えている典型的な情弱で、その影響でしょう。「石原慎太郎は偉い!」とよく言っていました。
そんな両親でしたから、立候補の際には特に母親が気を病んでしまいました。しかし市議となってからは党への理解があったのかどうか、亡くなる寸前の病床で父は「ブログを見ている、これからも活躍してくれ」と言い、母は横浜で日曜版の読者になっています。
マジックなど、多彩な演出で癒されました。
後援会の皆様、今年もよろしくお願います。
1月12日(金) 能登半島地震、救援募金のお願い
今日は藤枝駅頭で能登半島地震旧券募金のお願いを訴えました。
現地は圧倒的に物資が不足しており悲惨な状況と聞きます。
避難所にすら入れず、車中泊やビニールハウスで暮らす方、避難所(体育館)には入れても段ボールベットもない。水や食料もなく、深刻なトイレ環境等々。
昨日は医者に行くことが出来ずに5歳の男の子が命を落としたという痛ましいニュースがありました。
これ以上、災害関連死を増やさないために、現地に直接届ける募金が何より有効です。日本共産党は昨日石川県七尾市に第一次募金を届けましたが、冬本番を迎える今後もっとたくさんの支援が必要です。
国がいち早く支援をしなければいけませんが、災害対応に予備費を46億使うと言います。一方で、大阪万博のリングには350億使って一年限りで撤去。イケてる~。
これほどまでに無策なのは、災害時の緊急事態条項が憲法にないからだと、この災害を「契機」に改憲を進める腹積もりでもあるのではないかと考えてしまう。
水泳2000m、今年3回目で、総距離6000m。
1月11日(木) 赤旗日曜版が”旬”です?
木曜日は北口で朝の宣伝です。
今日は、赤旗日曜版を見本誌でお配りしました。パー券を巡る裏金問題は現職国会議員の逮捕にまで発展しました。一昨年の11月に、日曜版が最初にこの問題を報じた際は、ほどんどのメディアは見向きもしませんでしたが、東京地検の捜査が入ると俄然取り上げて一大疑獄事件に発展しています。
メディアの役割は「権力の監視」ですが、スクープを連発しているのが「文春」と「赤旗」という状況で、大手メディアほどその役割を発揮していない現状です。
余談ですが、松本人志を巡る文春を読みましたが、吐き気がするほどひどい”性犯罪”。こういう人物が重用され、成功する日本と言う国は、一体何なんだろうと暗然とした気持ちになります。
赤旗が注目を浴びているのでしょうか。15部の見本誌を用意したのですが、たった一人の同行党員の方だったのにもかかわらず30分でなくなってしまいました。中には高校生も取ってくれました。これまでにない反応です。これが定期購読につながればもっと嬉しいのですが…
その後は日曜版の配達など。
水泳2000m、今年2回目で総距離4000m。
1月10日(水) 今年も南口(水曜日)、北口(木曜日)で駅頭宣伝続けます。
市議になる1年前から始めていた朝の駅頭宣伝、今年で15年目を迎えました。今年も、原則を曲げずに毎週の取組として頑張っていきます。
今日が今年最初の駅頭、地震、裏金、原発等々、訴えの内容は事欠きません。ひどい政治を終わらせる年にしていきたいです。
その後は、佐藤議員との打ち合わせなど。
1月8日(月)(祝) 登り始めは、安倍奥の青笹山で快晴の景色を満喫
今日は、日刊紙配達後、安倍川奥の青笹山へ出かけてきました。
私の最大の楽しみは山行と&下山後の温泉とビールです。
冬は空気が澄んでいるので、絶好のシーズンなのですが、台南市議会を巡る下らない問題や天候不良もあって、一か月以上山に行っていません、心狂うわ?
ようやく空いた一日の日程で、行ける範囲を色々考えて選んだのが「青笹山」です。
頂上からの景色は360度楽しめるという事、今日は快晴、満を持して夜明同時にスタートするべく、2時起きで日刊紙配達終了後(4時半頃)登山口へ直行しましての登山した。
休日、快晴無風、誰一人いない山頂。今年も頑張ります。
1月7日(日) 泳ぎ始め
今日は成人式や党の会議、葬儀などでほぼ終日でした。
昼の合間で大洲プールへ。泳ぎ初めです。年末年始10日間全く運動していませんでしたが、意外にも絶好調で泳げました。
水泳2000m、今年1回目、総距離2000m。
1月4日(木) 新年あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
今年は、能登半島地震、航空機事故と、波乱の幕開けとなってしまいました。
政界は、自民党政治を終わらせる一年にしていかなければなりません。
今日は、新年初顔合わせ、代表者会議などでした。