2島返還で平和条約は国後、択捉も放棄 全千島が日本領の主張を!
戦後処理の不公正こそ問題
安倍総理はプーチン大統領と会談(14日)「日ソ共同宣言をもとに平和条約締結を加速させる事で一致した」と述べています。詳細は不明ですが、歯舞(ハボマイ)色丹(シコタン)2島返還が柱になっているのは間違いありません。
北方領土問題の根源は、第2次大戦終結時におけるスターリンの覇権主義的な領土拡大策です。もともと千島列島は4島のみならず北端の占守島(シュムシュ島)までの全千島が日本の領土とされていました。(1875年樺太千島交換条約)
第2次大戦は例え戦勝国であっても敗戦国の領土を併合しないという原則(領土不拡大)が当のソ連を含めて国際的に確認されていました。(カイロ宣言、1934年)
ところが、終戦の年(1945年)に開かれたヤルタ会談でソ連は対日参戦の条件として全千島の引き渡しを要求、米縁もそれを認めたのです。しかも、北海道の一部とされる歯舞色丹までも占領しました。
国際原則に反するソ連の不条理に対し、日本政府はサンフランシスコ講和条約(1951年)で全千島の放棄を認めてしまいました。しかも、1955年の日ソ国交平和正常化交渉ではそれまでの立場を変え、国後(クナシリ)択捉(エトロフ)は千島ではないから返還せよと主張したのです。
全千島が返還されるべき正当な根拠をもっていながら、一方的な譲歩をしたり、後から覆す主張をしてきたために、領土問題はまったく進展を見ていません。
2島返還の平和条約で国境は画定される
問題は総理が進める平和条約です。歯舞色丹を先行返還することはありえますが、それをもって平和条約を結んでしまうとその時点で国境が画定してしまい、全千島どころか国後択捉の返還を求める事は永久に出来なくなります。
歴代の日本政府は、国際的に道理ある全千島の返還を求めたことは一回もありません。サンフランシスコ講和条約では沖縄の施政権も放棄しましたが、その後復帰しています。道理ある主張をすれば実はついてきます。2島返還が実現するにせよ、その場合はあくまでも「先行返還」とした中間条約的なものにとどめるべきです。