5月9日(月)のあかはた新聞の9面に、今回の事故を受けてメディアの報道の姿勢について書かれていました。日頃、私が感じていることと重なることが多いので書かさせていただきます。
この記事は、メディアの中でも特にテレビを問題視していますが、今回の震災でそのメディアがいかに独自取材をしないで、ただ発表をする、追認をするといった事態になってしまっているか、海外メディアが日本ではなぜ真実を報道しないのかと聞いてくる今のメディアの実態を特集しています。
少なくても広島型原爆の50倍の放射能が放出されたこの事故が、当初の保安院の説明「ただちに健康に影響がない」を、NHKや大手メディアがそのまま追認し放送した事実はどうなのか。
記事の中では、テレビでコメントを求められた原子炉設計技術者が「今日はこういうテーマでこのことについて話してください」と事前に局から言われ、そこには危ないことはいわせないシナリオが意図として感じられること。東電や保安院の会見でも、それをスタジオで受けるキャスターはほとんど素人であり、どうしてもヒューマンドキュメンタリーを追う展開でしか番組を作りえないこと。
日頃、テレビをほとんど見ない私ですが、たまに女房が見ているのを眺めると、原発の事故が今後どうなるかを検証し伝える事をほとんどしていない。その理由が少しですが、わかります。(もっと本質的な原因は他にあると思いますが)
また、ジャーナリスト坂本衛(まもる)さんは次のようにテレビメディアの姿勢を批判しています。
坂本さんは、取材せずただ”発表報道”するだけのテレビの姿を見て情けないと感じています。
発表報道とは、政府や企業や個人が発表したことを、手を加えずにそのまま伝えるだけのこと。
たとえば、死者行方不明数。これらは警察が遺体を確認したり、届け出を受理した数の集計だが、一家全滅したり近所付き合いのない人などは数に入らない。それらを誰ひとり数えず、また数えるべきだと指摘もせずただ「被害の全容はいまだ不明」と報じるテレビの呑気さ。
ときおり死者行方不明者が阪神大震災を超えた、などとスポーツ記録さながらに報じるテレビの無神経さ。
福島原発で、東電が発表した放射線量の測定個所に一貫性がないのを誰も疑わない。そうしたいい加減な記者発表だけを流して御用学者に解説させるだけだから「レベル5」などという世界の非常識が平気で放送されてしまう情けないテレビ。
もらいものの図で報道をするから、初期の報道では原子炉の核燃料プールが省略された図しかテレビでは出てこなかった等々…
今のメディアが政府発表を疑わず、いかに独自の取材をしていないか。それが今回、間違った情報提供でどれだけ社会をミスリードしてしまったか。その姿勢を痛烈に批判しています。
あの戦争中、大本営発表だけを垂れ流したメディアは一億特攻を国民に煽り、日本だけでなくアジア諸国に多大な被害を及ぼしました。いつかまた、そうした時代が二度と来ないように、坂本さんのような真のジャーナリストの活躍を願ってやみません。