集団的自衛権行使容認で「戦争する国にはならない」安倍発言の”ごまかし”
総理は、必死にこう説き「国民の誤解だ」といいますが、それは全くの”ごまかし”だという事が志位委員長の国会質問で明らかになりました(衆議院予算委員会5月28日)
二つの”歯止め”を残すとは絶対に言わない安倍総理の二枚舌外交
国会質問で、まず志位氏は集団的自衛権の考え方と政府の9条解釈で自衛隊の武力行使で何が許されてきたかを確認。政府答弁は、「集団的自衛権とは自国(日本)と密接な関係にある外国(米国)に対する武力攻撃を、自国(日本)が直接攻撃されていないにかかわらず、実力をもって阻止する事が正当化される権利」の事。政府解釈は「日本自身が外部から武力攻撃を受けた場合における必要最小限の実力の行使を除き、侵略戦争に限らず国際関係において武力を用いることを広く禁じている」(以上、政府答弁)つまり、自衛隊に許される武力行使は日本自身が攻撃された場合のみ「必要最小限」の武力行使だけが許されていると政府も言っているのです。
集団的自衛権行使容認でどうなるかー。これまで政府がとってきた方針の大転換になる事、志位氏は、それを集団的自衛権行使が現実に問題となったアフガン・イラク戦争に絞って質問しました。
両戦争で、日本は米国の強い要請によって自衛隊を派兵しました。しかし派兵の法的根拠となった特別措置法(特措法)には憲法9条に基づき①武力行使をしてはならない②戦闘地域に行ってはならない。という2つの歯止めが付きました。その結果、自衛隊の活動は給油や給水にとどまり一人の犠牲者も出ませんでした。
では、集団的自衛権行使を容認すればこの2つの歯止めは残すのかーーー。志位氏の質問はこの点です。もし、安倍氏が本気で「戦争する国にしない」というのであれば、はっきりと「残す」と言うはずなのに、何度尋ねても「武力行使を目的とした戦闘行為に参加する事はない」と決まり文句を繰り返すだけ。歯止めを残すとは絶対に言わないのです。
それどころか、「非戦闘地域、後方支援といった概念を含めて与党で協議いただきたい」とし、歯止めを残すどころか、逆に自衛隊の活動を拡大する方向で検討するとしているのです。
ここに、安倍首相の”ごまかし”が現れています。
”歯止め”を外せばどうなるか(アフガン戦争で見ると)
アフガン戦争では、NATO(北大西洋条約機構)各国が参戦しました。NATO条約には「(加盟国に)対する武力攻撃を、全締約国に対する攻撃とみなす」として、攻撃を受けた国を「援助する」という集団的自衛権の規定があります。9・11テロが起きるとNATOは史上初めてこの規定の発動を決めました。
それに基づきNATO諸国は燃料補給、空港港湾の使用許可、米国施設などの保安強化などの兵站活動(後方支援)に合意します。この「後方支援」活動を出発点にNATO諸国は米国主導の軍事作戦と一体化を強めました。その結果は、NATO軍(米国以外)21か国1031名の犠牲者です(英国453人、カナダ158人、フランス86人、ドイツ54人、イタリア48人等々)
2つの歯止め抜きに米国の戦争に参戦すれば、兵站活動(後方支援)から開始されたとしても、相手側の攻撃対象となって戦闘に巻き込まれる。アフガン戦争で明らかになったことです。
安倍首相は「軍事同盟というのは”血の同盟”です。…しかし、今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流す事はない」(自著:この国をまもる決意)で述べているように、アメリカの戦争のために日本の自衛隊の若者が血を流す事こそ真の目的があります。
自らは”私が責任者”だと言いながら、実際血を流すのは自衛隊の若者たち。ご本人は毎晩高級割烹やレストランで遊蕩し、その御相伴にあずかる大手メディア幹部の元で、真実を知らせる報道も少なくなるなかで、戦争する国造りが加速しています。絶対に食い止めていきます。
2014/6/10 (しんぶん赤旗日曜版6月1日号を基に作成)