藤枝市「生活保護のしおり」が改善されました(2014年6月)
藤枝市が生活保護の申請の際に利用している説明資料「生活保護のしおり」の内容が、2013年11月議会の一般質問を受けて改善されました。
改善されたのは扶養義務の欄です。
生活保護は憲法25条で定める「健康で文化的な生活」を国民誰もが過ごせるように、国が国民の困窮の程度によって必要な保護を行い最低限度の生活を保障し、その自立を助長することを目的とした制度です.そのもとで定められている生活保護法では”民法に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする”(第4条第2項”保護の補足性”)とされています。
(国が誰しも健康で文化的な生活を送ることができるように政治をしなければならないとされているのに、相次ぐ雇用制度の破壊や増税、福祉の切り捨て等、その責務を投げ捨る一方で、生活保護受給者を”なまけもの”とバッシングして国民同士を分断させ責任逃れをしていますが、ここでは制度の問題ですので別問題として置きます)
優先であって要件ではない
もう少しわかりやすく言うと、ここにある「優先して」の意味ですが、生活保護を受給しようとしている困窮者が、その兄弟親族など扶養義務者から援助を受けるように努力してください。という意味です。
よく、誤認されやすいのは、扶養義務者がいるから生活保護は受けられない。という事です。「親兄弟がいるから駄目だ」と取ってしまうのですね。
そうではなく、例え扶養義務者がいても、その扶養義務者は当人に対し出来る範囲での援助でも構いません、それでもなおかつその困窮者が最低限度の生活基準(年齢や世帯によって月額いくらいくらと決められている)に達していなければ、その差額は生活保護として支給しますという事で、援助可能な扶養義務者がいるから生活保護が受けられない理由にはならないというのが法の内容です。仮に最低限度の生活を超える援助が出来る扶養義務者がいる場合でも、DV加害者等事情がある場合は実情にあった対応をするともされています。
扶養の調査強化で締め出そうとする安倍政権
ところが、安倍内閣はこうした法の事実を認めながらも、扶養義務者への調査を明文化することによって申請者を萎縮させ生活保護から締め出そうとする生保改悪案を可決しました。
そうした中で私が2013年11月藤枝市議会で取り上げたのが扶養を委縮させている問題です。
市が生活保護申請者への説明で使っている「生活保護のしおり」では、扶養義務者の扶養について、”親子兄弟姉妹など、3親等以内の親族を扶養義務者といいます。扶養義務者からの援助が行われるよう努力してください。このような努力をしても、なお、最低生活が維持できないと認められるときに、はじめて生活保護を受けられることができます。補足性の充足ということが、生活保護の実施に対する優先事項となっています”となっていました。
この文章は、あくまで優先としており間違っていません。ですが、大多数の市民はこれだけ見れば「親兄弟がいるからダメだ」「援助をもらっているからダメだ」と誤認するのは当たり前ではないでしょうか。ただでさえ、扶養調査明文化で萎縮させようとしている時に「扶養義務者がいてもたくさん資産があるような人の場合ですよ」とか「要件ではありませんよ」といった市民に分かりやすい文章で誤認のないようにするべきだと要求したところ、市は検討を約束し、今回実現したものです。
具体的には写真にある下線部分”ただし、親族の扶養義務は、可能な範囲の援助を行うということで、援助が可能な扶養義務者がいることが、生活保護が受けられない理由にはなりません”の部分が加わりました。
まだ課題は大きく多い
かつては”扶養を含めた補足性の原則が充足されて初めて保護を受けることが出来る”(生活保護を申請する前に親兄弟に頼れ、それでもだめなら生活保護ですよ、という事)としていましたが、何度か議論を経て具体的に文章では改善ができました。
しかし、実際は、窓口に生活保護の申請に行っても1~2時間の相談を経た後「これはもう生活保護しかない」と行政が判断して初めてこの「生活保護のしおり」は申請者に渡されることになります。生活保護は「無差別平等」に受けられると法で定められていますが、実際は行政の判断になっている。担当課が多忙ですべて申請を受理してしまうと一定の仕事をしなければならない実態もありますが、申請者にとっては長時間にわたる調査相談の後に出される”しおり”の内容まで熟考する余裕はないでしょう。
窓口に来た市民に対し、生活保護申請書を手渡しながら”しおり”を活用するのが本来の姿です。まだまだ課題はありますが、質問を通じ公文書を改めた事はこれまで私が主張していたことが正しかった事。岐路に立つ生活保護制度、憲法の理念に基づく運営を市がするように頑張っていきます。